アルボムッレ・スマナサーラ長老インタビュー

ストレスを生み出す「貪瞋痴」 その2

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日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老に「ストレスを生み出すものは何か」というテーマでお話を伺いました。私たちを悩ますストレスの正体、その対処法(ストレス・マネージメント)にとどまらず、テーラワーダ仏教から見たストレスの本質について、詳しく教えていただきました。全4回にわたってお送りします。今回は、その2回目。

――前回は「無知」という闇の深さについてお話しいただきました。ところで、貪瞋痴[とんじんち]の瞋(いかり)について、教えてください。怒りの感情は、相手に向かっているように見えますが、同時に自分の内側に向き、自分自身をも傷つけているようにも見えます。それについてはいかがでしょうか?

その通りです。怒るときは、外界に対して怒るか、自分自身に対して怒るか、その二つしかないのです。怒りは強烈な破壊的エネルギーです。だから外に向かったら、外のものや人を徹底的に破壊します。また内面に向かったら、自分のことを自ら破壊しにかかるのです。それがわかっていたら怒れないはず。でも我々はそれでも怒るのです。変ですよ。怒ったら最後、致命的に危険なことが起こる。そんなことはたいていの人はみな知っているにもかかわらず、です。

日本テーラワーダ仏教協会・アルボムッレ・スマナサーラ長老

怒りによって精神的に病んでしまう人もいます。たいへんな怒りを抱えています。本人たちの苦しみははかり知れません。怒りによって精神を病んだ人たちは、それがどんなにつらいことか身をもって、ご自身が一番よく知っています。しかし「では、怒るのをやめましょう。怒りを捨てることが、今、一番大切なことなのです」とアドバイスしても、そうそうやめることができません。そのうちまた怒り出す。残念ながら、これも無知なるがゆえの現実です。

怒りが悪いものならやめればいい。例えば、(目に前のテーブルに置かれたカップを指差して)この紅茶には毒が入っている、と知ったとします。だとするなら飲まなければよい。ただそれだけです。それでも飲んで何か屁理屈を言い出すのです。わかっているのに我々はそれをするのです。

怒りが自分に向かっていって自己破壊をするか、外に向かって他者破壊するか、どちらに向かっても、そこで起こることは破壊だけなのです。その事実はすこし考えてみればわかるはずなのに、人は怒ることをやめられないのです。

こうして、怒りによって生じた強烈な負のエネルギーに翻弄され、他者を傷つけ、自身をも破壊して人生を台無しにしてしまう。これが我々が生まれながらにして抱え込んだ、根深い深刻な性質なのです。

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