――ナラテボーさん、こんにちは。どうぞ、よろしくお願いいたします。
今日は、インタビューの第1回目。4回にわたりお話をいただきますが、1回目はブッダの説かれた根本の教え、苦について伺いたいと思います。
仏教には「一切皆苦」という言葉があるそうです。現実の世界は苦しみであると。これは、人生はすべて苦しみであるというふうに受け止めていいのでしょうか。なんだか、救いがないようにも思えるのですが……。
こんにちは。それでは今日は、ブッタの教えの根本をお話してみたいと思います。いったいブッタの教えはどういうものなのか――法の真髄と言ってもよろしいと思いますが、いったい何を説かれたのか? その辺の非常に大事なところをお話ししたいと思います。
今、苦しみ(仏教ではこれを「苦」と呼びます)のお話がでましたね。人生が苦ならば、それこそ絶望的な気持ちになるのも無理からぬことですね。ということでまずは、ブッタの教えのキーワードとなる「苦」についてお話をいたしましょう。
日本では一般に「一切皆苦」という言葉が流通し、「『人生はすべて苦である』と悟るのが仏教である」などと解釈されています。でもそれってなんか救いようが無さすぎる感じですし、仏教を学ぶモチベーションにもあまり繋がらないですよね。ところでブッダも「生きることは苦しみだよ」ということを仰しゃりたかったのでしょうか?
ブッタは実際そのようには説かれていません。原文は「サペー(一切)・サンカーラ(行)・ドゥッカ(苦)」ですから「一切行苦」、無明すなわち真理を知らずに渇愛に染まった認知や行動はすべて苦しみにつながると仰しゃったのです。そして、こうした苦しみを滅する(克服する、あるいは超克する)道もある。すなわち、無明の闇を晴らしていく方法を説かれ、そうした道を歩めば、われわれ誰でもが苦しみを滅し尽くせると仰しゃったわけです。
目をそらさずに「苦しみが生じている」と明確に認知していくことはとても大切なことです。これによって苦しみを滅していくためのスタートラインに立てます。そしてその先にはゴールがあるよ。苦しみは滅し尽くすことができるんだよ、それがゴールだよと、そういったことをブッダは教えているのです。
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