アルボムッレ・スマナサーラ長老インタビュー

ストレスを生み出す「貪瞋痴」 その4【最終回】

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日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老に「ストレスを生み出すものは何か」というテーマでお話を伺いました。私たちを悩ますストレスの正体、その対処法(ストレス・マネージメント)にとどまらず、テーラワーダ仏教から見たストレスの本質について、詳しく教えていただきました。今回は、全4回の最終回です。

――貪瞋痴[とんじんち]の三毒をもつことがストレスということになれば、商人が儲けたいという欲を持った場合、その欲は[むさぼ]りではないですか? それでは、商人はつねにストレスを抱え込むことになりますね。

それは単純な勘違い、法則に合った見方ではありません。ここでいう法則とは、仏教でいえば「因果」の法則です。「儲けたい、儲けたい」と思っても儲かるわけではないのです。ここは科学的に見なければいけません。儲けたいと思う心(欲)は自我から出てくるものです。実際のところ、儲けだけを考える人は儲けることは出来ません。

商人の品物を何故、人が買うのか? それは買う人の役に立っているからなのです。商品を通して人の役に立つことで、商人は幸せになるのです。それが法則というものです。「儲けたい、儲けたい」というのは欲です。これは自我から出ているので「悪」です。儲け一点張りで行動すれば、本人も周りも暗くなります。まるで鬼のような顔をして、儲けたい一心でお客に接すれば、客の気分を害することになるでしょう。

そうではなく「何をお探しですか。お役に立てる品物をご用意いたしますよ」と、お客の利益、心情を慮って、役に立つことをまず考える。そうすれば、「助かる事を教えてくれる店だ。この店は役に立ちそうだ」と、喜んで商品を買ってもらえるようになるはずです。人は役に立つ店に行く。理屈は極めてシンプルです。

東京の渋谷区、私鉄の幡ヶ谷駅近くにある日本テーラワーダ仏教協会・ゴータミー精舎

仕事とは、他者の役に立つことです。役に立てば栄えます。結果、儲かります。ところで、このゴータミー精舎の前には公園がありますが、その公園に私が勝手に穴を掘っても仕事になりません。それどころか、公共のものを損壊した罪で裁かれます。

そのとき、区役所の人に「この公園に穴を掘ってくれませんか?」と私(協会)が依頼されたとしましょう。そこで「はい、わかりました」ということで、私が穴を掘ってあげたら、区役所からお金はいただけなくても、感謝ぐらいされますね。なぜなら、公の機関から依頼を受けたれっきとした仕事だからです。区役所、区民の役に立ったからです。

このように仕事とは、他者の役に立つ事。これは人間社会だけではありません。我々がペットの犬や猫の面倒を見てあげると、一生懸命、こちらの役に立つよう彼らも頑張ってくれるでしょう。それも仕事なのです。家畜の牛たちで言えば、人間の役に立っているからこそ、人間は彼らを育てているのです。彼らはエサを貰って、病気になったらすぐに獣医の適切な治療を受けて、野生動物であったら考えられないような処遇を受けているのです。屠殺という、生命に対する悲しいいじめに関しては、進化の過程で仕方が無いことになっていますが、家畜として人の役に立ち、大切にされているということに変わりはありません。

仕事の定義を理解しましょう。人の役に立つ。この場合、欲はいりません。そもそも商人に欲をもつ必要はないばかりか、それをもったら最後、法則に外れた生き方として、商売は成り立たなくなるでしょう。

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