アルボムッレ・スマナサーラ長老インタビュー

ストレスを生み出す「貪瞋痴」 その3

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――はい。文化的な側面は大きいと思います。ところで、いじめの原因を仏教ではどのように理解、定義しているのでしょうか。

そうですね。まずいじめの問題は、これまでとは別の次元で考え、解決しなくてはならないと思います。「いじめを撲滅しよう」とか「なくしましょう」といった次元では解決は難しいでしょう。なぜなら、生命は、その誕生の時から他の生命をいじめているからです。

それを紐解くポイントがひとつあります。我々は進化を経て生き延びています。つまりNatural selection(自然淘汰)が繰り返されてきました。ということは、いいですか。じつは我々人類はすごく凶暴な存在なのです。他の動物をいじめて勝ち抜いてきたのです。いじめられて負けた生命は、今、地球上にいないのです。自然淘汰されて絶滅しました。

――ということは、いじめるということも、生命の本質なのでしょうか?

それが「進化」というものである、と言っているまでです。自然の流れです。だって私たちは、今まで、どれくらいニワトリを喰ったんですかね? どれくらい魚を喰ったんですかね? 生命を壊すことほど酷いいじめがありますか? 魚たちに力があったならば、一致団結して人類を攻撃し、滅ぼしに来るはずなんです。でも、力がないでしょ。だからずっと喰われる側にいなくちゃならないんです。

「命」の世界はそういうものです。弱肉強食ですよ。だから弱肉強食で生き残っている生命体は、生き残るためにいじめるということを、屁とも思わないのです。そこを理解しないと、この問題は解決しません。みんないい加減に、問題の表面を舐め合っているだけで終わってしまいます。

学校の中でも、会社の中でも、この「natural selection」ということが起きているのです。それで弱い人はすごく苦しむ。これがいじめの本質なのです。

だから、私たちはいつだってブッダの智慧をもって助け合って、しっかりしていかないといけないのです。私たちがいじめを無くそうと真剣に思うならば、今までとは別な態度を取らなければいけない。そういうときが来ています。

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