アルボムッレ・スマナサーラ長老インタビュー

ストレスを生み出す「貪瞋痴」 その3

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――いじめを無くすために、今までとは違う「別の態度」を取らなくてはいけない、ということですが、具体的にはどうしたらよいのでしょう。

それには、生命には生きる権利がある、ということを、もっと深刻に受け止め直す必要があります。生命の尊厳、人間に限って言えば、「人権」です。人権侵害はとんでもないこと。それだけは決して許さない。人権侵害する者には、生きる権利すらないんだというふうに、新しい道徳をつくらなくてはいけないのです。

いじめる側の人たちを、法律でも良いし、学校の校則でも良いし、会社の規則でも良い、裁かなければいけないのです。この場合、能力があって将来性もある、まだ子どもだから多少大目に見ましょうという態度は戒めるべきです。いじめは人権侵害である。人権侵害は許す事のできない大罪なんだ。人権は誰にも平等にあるのだと、強い態度で臨まなければならないのです。とくに社会的弱者、障碍をもつ方々、まだ年端も行かぬ子どもたちの人権は、何が何でも守り抜かなければならない。

ところが現代社会ではどうでしょう。会社による人権侵害。政府による人権侵害。独裁者による人権侵害。これらが横行しています。アメリカのトランプ大統領によって、世界の人々が人権侵害にあっているのです。現実を見てください。実際にこれらは起きているのですよ。それらは大きな罪である。許しがたい罪である。そう気づいて、我々は新たな道徳観を作り上げなくてはなりません。

ある日、将来あるお子さんが、いじめ問題について私に尋ねてきました。その子は、いじめを無くしたいと願っているわけです。いじめられている友だちを、いつも助けてあげたり、弁護してあげたりするのですが、結局、自分だけが悪者になっていく。でも彼はそれでいいと言ってけなげにもめげません。

「どうすればいじめは無くなりますか?」と私に訊きました。その子に私から出した答えは、「いじめというものは無くなりませんよ。昔も今も、これからも。しかしそれを放っておいていいというわけではありません。いじめに対しては『人権侵害はやめなさい』と強い態度で臨むのです」というものでした。

繰り返しますが、進化法則だからいじめを無くす事はできません。法則は我々の管轄外のことです。けれども、人権を守ることはできる。しなくてはいけないのです。いじめられる側も、いじめる側に対して強い態度で接することも必要です。「あなた方は、人をいじめて楽しいかもしれません。だけど私は傷ついています。あなたのやっていることは人権侵害です。いい加減になさい。許しませんよ」と、強い態度を取らなくてはいけないのです。一人一人が自分の人権を守るために、しっかりしなくてはいけないのです。

人権侵害を受けた場合は、すぐ立ち上がりましょう。社会的にも人権侵害は大きな罪として扱わないといじめはなくなりません。

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