――今日は、いじめ問題に関し、自然淘汰という観点からも興味深いお話をいただきました。最後に長老から、いじめに関してさらなるご提案をいただきたいと思います。
いじめと言えば、他にも根本的に考え直すべきことがあります。
試験ってなんですかね。弱い者を切り捨てることでしょ。面接ってなんでしょうかね。人間だれにだって仕事をする権利があるでしょうに。面接をして、試験を受けなくちゃいけない。そして捨てられますね。それらを消す事ができますか、この世の中から。教育の基本は、誰でも知識を得る権利がある、という理念に基づくことでしょう。どういうことですか。その教育現場がいじめシステムで成り立っているというのは。
採点制度があって「何点取ったの?」って、あれっていじめじゃないですか。理解能力を身に着けて、物事をしっかり理解する能力を向上させるべきはずの教育が、「何点取ったの?」。教育が教育でなくなっているのです。
丸暗記した知識だけを頭に詰め込んで、既成のいじめの試験システムの中で、選択肢の中からどれか答えを選び出させて、それで点数を取る。そんなことは練習すればだれでもできるんです、結局は。
それに対して、義務教育を終えただけの人でも、世界で立派に通用し成功している人はいっぱいいます。立派な人生を送って、それこそよほど真っ当な人間になっている。その人たちには知恵があるのです。でも角度を変えてみれば、既成のいじめシステムの中では、いじめられて追い出された人たちかもしれません。
今日見てきたように、現代社会は政治システムであろうが、刑法システムであろうが、どこもこのいじめシステムで動いているのです。これを自覚している人は少ないですが恐ろしいことです。この世の成り立ちは、思っているほど単純ではありません。
ですから、そこで一番大切になってくることは、まずこの事実に気づくこと。そして今日お話ししたように、断固とした態度で人権を守ること。それに尽きるのです。
――ありがとうございました。