ほんとうの自信はどのように得られるのか。文化人類学者・上田紀行氏と、精神科医・名越康文氏が、実体験を交えながら自信について語り合った。
自信なんてもともとありません
上田名越さんは、自信について考えたことがありますか?
名越あまり考えないですね(笑)。でも、昔から僕は自信の無い人間なんです。10年ほど前、一大決心して大阪から上京してきたときは、いろいろな人と知り合いにならなアカンと思って、パーティーとかさまざまな場所に出向いたんですが、緊張して水だけ飲んで帰ってくることが何回か……(笑)。
上田そうなんですか。自信たっぷりに見えますけれどね。
名越執着していることから解き放ってくれる仏教と出合えたことが大きかったと思います。「自分はこうあるべき」と決めつける必要はないと分かって、そのままの自分で、どうパフォーマンスを発揮するかを考えるようになったんです。周りにどう見られているかをあまり気にしなくなりました。それがはたからは自信があるように見えるのかな……。
上田なるほど。いつごろ仏教に出合って、いまの考え方にシフトされたんですか?
名越僕が20歳のころなんですけれど、医学部に入学したものの、身体医学に興味が湧かなくて「医者になって良いんだろうか」とすごく悩んでいました。それで、うつ状態になり、すがる思いで仏教書を手に取ったんです。そして、生活に仏教を取り入れるために、瞑想を始めました。すると、だんだん気持ちが楽になった。ところが30代になると、医者をしながら病院の経営改善も行なっていたので猛烈に忙しくなって、瞑想する時間がもてなくなりまして。
上田仏教を取り入れた生活が遠のいてしまったんですね。その後どうされたんですか?
名越40代半ばで大阪から東京に出てきて、さまざまな壁にぶつかってしまったんです。それで再び仏教を本気で学び、瞑想を始めるようになりました。ほんとうの意味で自分と向き合えるようになったのはそのころからですね。いまは一日に15分から30分ほど、瞑想しています。
上田その二度のきっかけがあったからこそ、いまの名越さんがいるんですね。
名越鉄を打ち直すように、心をもういっぺん鍛え直すような行為をしなければならないときに、仏教に出合えたことは救いでした。それがなかったら酒に溺れ、生きることに希望がもてなかったかもしれません。考えてみると心を鍛える方法は、学校の授業では誰も教えてくれませんからね。
上田僕も若いころは、まったく自信が無かった。なのに一方で、自分はものすごくできる人間だっていう、変な自意識がありました。周囲から評価をされない現実と常に葛藤していましたね。だからとてもネガティブで、幸せそうな人を見るとやっかんでばかり。クリスマスの日に渋谷のハチ公前のカップルを見ると、いたたまれなかった(笑)。
名越僕もクリスマスが大っ嫌いでした。
上田でも大学のゼミで、気持ちというものは、自分の心が生み出しているのだと少しずつ気づかされていったんです。とくに学生時代の沖縄での体験が大きかったかな。竹富島で海の中を泳いだら、想像を絶するサンゴの美しさに感動して。僕が生まれる前から、こんなきれいなサンゴ礁があったんだ、と。僕が死んでからもこのサンゴ礁は、何万年も存在し続けるのかと思うと、「僕の存在はちっぽけだけど、生きていても良いんだ」って感じがして。
名越あ~、すごいなぁ。
上田それから、31歳で初めて本を出して、「癒やし」という言葉を社会に提示したんですが、とても売れて。うれしかったですね。けれど、途中からそれが重荷になってしまった。ダメなどうしようもない自分なのに、周囲から“新進気鋭の何某”とか言われますしね。自己評価と周囲からの評価のギャップに苦しみました。
名越それは大変だったでしょうね。
上田そのギャップがどんどん大きくなってしまって。40代前半に絶不調に陥り、毎日が全然ワクワクしなくなり、生きていることがものすごくつらくなった。それで、鏡を見て微笑むと、ちょっと恰幅の良くなったオヤジの自分がニターっと笑ってる。
名越もうそれは、解離症状です。