宗教学者 島田裕巳の“怒りの研究”

「怒り」の正体について考える

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怒り。思うようにいかないその厄介な存在

そもそも、「怒りの研究」と題されたこの文章を読んでくださっている読者の方々も、「自分はどうも怒りやすい」、「怒りをあらわにしたことで失敗した」、「人に怒られてばかりだ」と、そうした悩みや問題を抱えているに違いありません。

怒ることも、怒られることも、どちらも嫌なものです。世の中から怒りというものがなくなったとしたら、随分と平和になることでしょう。
人を殺したり、傷つけたりすることが少なくなるのも間違いないでしょう。
あるいは、世界から怒りがなくなれば、戦争もなくなるかもしれません。

世界平和の実現は人類の悲願でもありますが、そのためにはまず、怒りをなくすことを考えたほうがいいのかもしれません。

ところが、世界平和を訴える人たちのなかには、戦争を煽る権力者に対して怒りをもって戦えと、かえって怒ることを強く勧めているような人たちもいます。

人間というものは、ひどく矛盾した存在でありますが、その矛盾はこうしたところにもあらわれています。それだからこそ、怒りの問題は難しいといえます。
怒りを鎮める方法を教えてくれる本が次々と出版され、それを多くの人々が読んでいるわけですが、なかなか怒りはなくなりません。
それは、怒りというものがひどく厄介な事柄だからです。

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