宗教学者 島田裕巳の“怒りの研究”

「怒り」の正体について考える

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「怒り」の対応は、焦らずじっくり構えて

厄介な事柄を解決するには、なんといっても焦りは禁物です。怒りをなくす方法を教えてくれる本を一冊読んで、それに納得したからといって、怒りが跡形もなく消えてしまうわけではありません。
逆に、怒りを効果的に生かそうとしても、いったん、自分のなかに怒りを抱えると、それがどんどんと激しくなって、自分でもコントロールが効かなくなることがあります。

そうなると、怒りをなくす、または減らすなどということは考えないほうがいい、怒りは人間の本能なのだからどうしようもないという考えに至ってしまいます。
あるいは、怒りをコントロールしてそれを利用しようなどと考えることは、そもそも無理だと思うようになるかもしれません。

ここでもやはり焦りは禁物です。
これは、怒りの問題に限らないことですが、私たちは何か問題が起こったとき、すぐに解決法を求めてしまうところがあります。
たしかに、問題が起こったのですから、それに対処する必要はあります。その問題が重大であったり、深刻であったりすれば、早急に解決策なり、改善策を考える必要が出てきます。

しかし、そんなに簡単に最善の解決策や改善策が見つかるはずもありません。そうしたものがないからこそ、問題が起こったともいえるからです。

ここは、じっくりと構える必要があるのではないでしょうか。
とくに怒りの問題は、人類が大昔から抱えてきた事柄です。長い間、私たちはそれが問題だと思いながら、少しも解決できていないのです。

解決策を求める前に、私たちは怒りとはいったいどういうものなのか、それを研究する必要があります。だからこそ、この連載は「怒りの研究」と題されているわけです。

島田裕巳氏
宗教学者
島田裕巳(しまだ ひろみ)
1953年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。新宗教、仏教、神道、冠婚葬祭に加え、死との向き合い方、生き方など、宗教学の視点から幅広いテーマで研究・執筆活動を展開する。著書に『葬式は、要らない』『神道はなぜ教えがないのか』『島田裕巳の日本仏教史 裏のウラ』など多数。近著に『日本の新宗教』『人は、老いない』がある。
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