宗教学者 島田裕巳の“怒りの研究”

聖書・古事記から繙く「神の怒り」

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神の「怒り」と人類の「恐れ」

そうした神の怒りがより直接的な形で示されたのが「ノアの箱船」の物語です。2014年に、これをテーマにした『ノア 約束の舟』という大作映画も公開されています。

楽園を追放されたアダムとエバから次々と子孫が生まれ、地上に人類が増えていく一方で、悪がはびこり、人は常に悪いことばかりを心に巡らせるようになってしまいます。なぜそうした事態になってしまったのか、聖書はその原因については言及していません。ですが、神はそれを見て、人を造ったことを後悔し、これらすべてを地上からぬぐい去ろうと決意します。しかも、家畜をはじめ動物たちもぬぐい去ろうとするのですが、そのなかで神に従う無垢な人であったとされるノアとその家族だけは許されます。さらには、動物については一組のつがいだけが生き延びることを許され、皆、巨大な箱船に乗り込みます。
すると神は四十日四十夜にわたって雨を降らせ、そして、大洪水が起こって、残りの人類や動物たちはすべてが流されてしまいます。映画では、これがかなり凄惨なものとして描かれていました。

それでノア以降の人類がまともになったかといえば、必ずしもそうではありません。その後には「バベルの塔」の物語が続き、王たちの間では戦争が絶えません。それはある意味、現代にまで続いているともいえます。神にとって、人類は自らが創造したものです。ところが、人類は神の思っていた通りにはならず、堕落していきます。そこで神の怒りが爆発するわけですが、人類や動物を地上からほぼ一掃してしまうのですから、その怒りは極めて激しいものです。

そうした激しい怒りを向けてくる神に対して、人はそれを恐れるしかありません。『旧約聖書』の神は、恐るべき怒りの神なのです。

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