日本の神は怒らない?
これに比べて、日本の神は恐ろしくもなければ、激しい怒りをあらわにもしないと思われるかもしれません。確かに、日本の神が大洪水を引き起こしたなどということは伝えられていません。しかし、『古事記』を繙いてみると、高天原に上った須佐之男命は、乱暴狼藉を働きます。あるいは、自らの命令に逆らった仲哀天皇は、天照大御神の御心によって命を奪われてしまいます。『古事記』にも、神の怒りはやはり表現されているのです。
ドイツの神学者、ルドルフ・オットーは、『旧約聖書』の神の怒りなどを踏まえ、神に代表される「聖なるもの」には、魅する側面があると同時に、戦慄すべき神秘の側面があると論じました。人は神を、限りない魅力を備えた存在であるとともに、圧倒的な恐ろしさによって迫ってくる存在としてとらえてきたわけです。
仏教でも、不動明王などの「明王」は憤怒の相で描かれます。信仰の最も核心には怒りが位置づけられているのかもしれません。
宗教学者
島田裕巳(しまだ ひろみ)
1953年、東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。新宗教、仏教、神道、冠婚葬祭に加え、死との向き合い方、生き方など、宗教学の視点から幅広いテーマで研究・執筆活動を展開する。著書に『葬式は、要らない』『神道はなぜ教えがないのか』『島田裕巳の日本仏教史 裏のウラ』など多数。近著に『日本の新宗教』『人は、老いない』がある。
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