宗教学者 島田裕巳の“怒りの研究”

怒りを抑制する方法とは

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相手を見下すことで「怒り」を抑えられるか?

『世渡りの道』の第四章は「怒気抑制法」と題されていて、いかに腹を立てないで済ませるのかについての具体的な方法を探っています。それもまた世間を渡っていく上では必要なことだというわけです。新渡戸は、「僕は生来短気で、気に障ると忽ち怒気を発し易かった」と述べていますから、自分の体験を基にして怒りを抑える方法を教示しているのです。『武士道』の著者がこんな文章を書いているかと思うと、少し親しみが湧いてきます。

またここでは、全部で八種類の怒気抑制法が挙げられています。なかでも特筆すべきなのが、「対手を馬鹿者扱いする抑制法」「対手を憐れな者と思う抑制法」です。これらの名称を見ただけで、その方法がどういうものなのか見当がつくでしょう。 要するに、相手を見下すことで怒りを抑えようとするのです。ほかにも、「他事に紛らす抑制法」「自分が悪かったと思う抑制法」などについて説明していますが、どれも実際に本人が実践した方法であるようです。

しかし、相手を馬鹿にしたり、憐れんだりすることで自らの怒りを抑えるのは、果たして有効な方法なのでしょうか。むしろ、そのように自分のほうが優れている、自分のほうが立派な人間なのだと考えること自体が、新たな怒気を生みやすい状態を作り上げているのではないでしょうか。新渡戸は近代日本社会のエリートとして生きてきましたから、自分はひとかどの人物だという自負があったはず。何しろ当時は、エリート養成校である一高の校長だったわけですから。

小説家の芥川龍之介は、新渡戸が校長を務めていた時期に一高へ入学したものの、教育方針がどうやら気に食わなかったようです。後に、新渡戸をモデルとした主人公が登場する『手巾』という作品を発表しますが、明らかにその人物をばかにしたような描き方をしています。

主人公の長谷川謹造先生は、当時の歌舞伎界の名優・六代目尾上梅幸のことを知らないにもかかわらず、ストリントベルク(ストリンドベリ・スウェーデンの作家)の作劇術の本を読んでいる……。つまり、“芸術至上主義”の立場をとっていた芥川は、主人公を芸術に理解のない人間であると見下すのです。芥川には新渡戸に対する怒りが元からあったのでしょうが、新渡戸をばかにすることで、それを晴らそうとしたかのように見えます。まさに「対手を馬鹿者扱いする抑制法」です。

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