対談

答えが一つでないから仏教はおもしろい 国際日本文化研究センター教授・末木文美士×尼僧・勝本華蓮

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これしかない、わけではない

勝本おもしろいという視点で考えると、私は落語が好きなんです。聞くほうは気楽ですが、演じるほうはすごく修業が必要です。仏教も説くほうは修行が必要だけれども、聞くほうはおもしろいんじゃないでしょうか。迷って、うつうつとしているとき、仏教の智慧をポンと入れてもらうと、ハッと気づくときがあります。お坊さんに「こういう見方もあるよ」と示唆してほしいのですが、そういうお坊さんは少ない。だから、直接仏教にふれたくて、仏像を見にいったりするのではないでしょうか。
末木そういうのもあるでしょうね。人生に迷い、坐禅をしたら悟れると思って始める人も多いと思います。何日間か座れば達成感はあるし、さわやかないい気持ちにはなる。それで、仏教ってこんなものだとわかったつもりになるかもしれない。それもいいとは思いますが、その先に、もっと奥深いものがありますよね。でも、それはオタクの世界。他に楽しみがなければ、仏教で楽しみが見つかるかもしれませんよという、選択肢の一つくらいに思っています。
勝本仏教さえあれば何とかなるという考え方は危険ですね。昔から仏教は平和祈願とかしていますが、平和は実現していないですし。
末木対立はやめましょう、といっても、対立しないためには、すごく我を張らなければいけないこともある。仏教をやれば平和になるみたいな仏教観がありますが、必ずしも仏教がいいとはいえないですね。
勝本絶対視しないことが大事ですよね。
末木例えば、仕事をしている人が親の介護のために仕事を辞める。介護をするのがいいのか、親には気の毒だけど仕事を続けるのがいいのか、どっちがいいかは客観的に判断できるものではありません。
勝本一般にいう客観は、たくさんの人の主観の集まり。世間が思っていることが正しいと思われがちですが絶対ではない。もし仏教が役に立つとしたら、世間の見方が絶対ではなく、いろんな見方があり、賛成する人もいれば、反対する人もいるのだから、世間の見方に惑わされないこと、と示唆できるところでしょうか。
末木ぼくは、もう世間的なしがらみはいいじゃないか、といった感覚ですね。若い頃から世間的な枠組みから外れたところからみているので、それがいいか、悪いかはわかりませんが、そういう仏教の捉え方もあるかなと。仏教もいいけど、違う方法で満足を得られる場合もある。いろいろあり得るのですから、仏教はこういうものという型に入れるのはやめましょう。とても奥が深いのですから。

尼僧・東方学院講師
勝本華蓮(かつもと かれん)
1955年、大阪府生まれ。企画デザイン事務所を経て、91年、天台宗青蓮院門跡にて得度。佛教大学卒業、京都大学大学院博士課程単位取得。著書に『座標軸としての仏教学』(佼成出版社)など。
国際日本文化研究センター名誉教授
末木文美士(すえき ふみひこ)
1949年、山梨県生まれ。東京大学卒業、同大学院博士課程単位取得。東京大学大学院教授を経て現職。『日本宗教史』(岩波新書)『日本仏教の可能性』(新潮文庫)『現代と仏教』(編)(佼成出版社)など。
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