年を重ねても、意味のないことをする
人は年を重ねると、たいがいのことが分かってしまいます。というか、悟らざるを得ない。
ぼくの場合、若いころは、真理を知ってしまうと若さがなくなるんじゃないかと、分からないふりをして生きてきたように思います。でも、50歳をすぎると、さすがに、はっきりと、いろいろなことが分かってしまいます。
だからこその「自分なくし」でした。そのために、意味のないたいへんなことをしたくなりました。
適当なところでラクしているから、ついつい自分の煩悩が芽生えてくる。逆に、自分に向いていないことやたいへんなことをしていると、そのことに夢中にならざるをえなくなって、おのずとその間は、自分がなくなります。
それこそが、自分をなくした瞬間、「空」だと思ったんです。
そんなふうにして始めた『アウトドア般若心経』でしたが、写真に納める文字のことばかりを考えて街を歩くと、自然と自分がなくなっていきました。単に文字を探すことに夢中だからです(笑)。
こんなことをしても意味がないとも思いましたが、意味があることばかりしていても、しんどいですからね。それを徒労と呼ぶか、修行と呼ぶか。修行と呼べば、別段、苦にもなりません。
そんなふうに、ぼくがこれまで手がけてきた多くは、誰かからリクエストされたことではありません。一見、仕事にならないことでも、仕事のようにエンタテインメントを加えながら、やってみる。それがぼくのやり口です。何でも、自分なりのエンタテインメントを加えてみる。
それは、多くの人にとって必要な、幸せになるポイントだと思います。