無理やり趣味を作り、じょうずに諦める生き方
仕事には定年がありますが、趣味があれば没頭できるから、焦らなくなります。と言っても、ぼくたちの年齢になると、趣味も無理やり見つけないと見つかりません。若いころのように、何かに熱くはなれないからです。
だから無理やり「これを好きに違いない」と自分を騙すんです。5年続けると脳が「もしかして好きかな」と思い始めて、10年続ければ、脳が「好きに違いない」と錯覚します。
いくつになってもワクワクしていたいじゃないですか。そのためには、没頭できることが必要です。
そもそも、年を重ねると、むなしさは自然とわいてくるものです。それは仕方がありません。それに打ち勝たないとしょうがないでしょう。
仕方がない、と受け入れるのは難しいけれど、それをおもしろくとらえてみる。
たとえば、誰かに腹が立ったら、それをずっとひきずって悶々とするより、相手に聞こえないように毒づいたり、外に出て愚痴ったり、一度言葉に出してみるといい。そういう場合に、相手に自分の気持ちを伝えても仕方がないことは、多くの人が分かっています。だからこそ、相手がいない場所で、言葉に出してみる。気分がスッキリして、脳がリセットします。
そうすれば、こっちのもの。仕方なくても、むなしくはないんです。そして、いまこの瞬間を楽しく生きようと思えるんです。
ボブ・ディランも言っています。「答えは、風に、舞っている」と。彼は77歳になるけど、いまだに結論を出そうとしません。そこに共感します。人生に答えなんてない。どうせ答えがないなら、結論を急ぐ必要はないんです。
「幸せ」という言葉に翻弄されてはいけません。
乱暴ですが、幸せなんてない、と思えば気楽です。第一、幸せなときって不安じゃないですか? 調子に乗っているときが、いちばんマズい。足を引っ張られます。
そういう意味では、不幸せと思ったときが、幸せになるチャンスかもしれない。
雲をつかむような形のない幸せを追い求めるより、いろいろなことを上手にそぎ落として諦める。それが「幸せ」になる秘訣だと思います。