対談

“揺るぎない自信”は得られるのか? 文化人類学者・上田紀行×精神科医・名越康文

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〈これが俺なんだから見てちょうだいよ〉という居直りが大事なんでしょうね

フルスイングしないと分からない

名越周りの評価を一つ一つ気にしていたら全力は出しきれませんよね。野球の試合ではバッターに「フルスイングして帰ってこい!」とよく言いますけど、フルスイングって、全力を出すとか、力を出し切るという意味ですよね。全力を出さないと、誰かを勇気づけられないというか、自信を得る機会を逃してしまうというか。そんな気がするんです。
上田「これくらいでいいか」といったような、当てるだけのバッティングをしてばかりだと、人の心に残るような生きざまは見せられないですからね。
名越当たらないかもしれないけど、評価や結果を考えずにフルスイングすると、周りの人の記憶に何十年も残ることがある。僕は「馬鹿野郎」なんて言わない穏やかな人間になろうと努力しているんですが、弟子や学生たちに全力で教えていると、声を荒らげてしまうときがあるんですね。
上田名越さんも怒るんだ!?
名越滅多に怒らないですよ(笑)。でも相手を思ってつい言ってしまうときがあります。それもフルスイングしているからこそだと思います。後で、「あのときの先生の言葉でいまの自分がある」と、言ってくれる学生や弟子もいます。何か救われる思いがしますね。
上田ある種の情熱みたいなもので人は心を動かされる。話している内容がまとまっているかどうかは関係ないよね。その人が本気を見せているかどうかなんでしょうね。
名越本気であれば伝わりますもんね。
上田話し方には「絶対値」と「相対値」があると思うんです。「相対値」とは、無難にまとめた話をすること。「絶対値」は周りにどう思われようが、批判されようが言うべきことは言うということ。僕は数年間、新聞で評論の原稿を書いていた経験があって、そこでは意見を述べると賛同もあれば批判もある。でも、その批判に対してさらに意見を述べるには、目茶苦茶に勉強しなければいけない。けれど、考え過ぎると何も書けなくなってしまうんです。
名越つまり、フルスイングできないってことですよね。
上田そう。〈批判されてもいい。これが俺なんだから見てちょうだいよ〉という居直りが大事なんでしょうね。
名越そうですね。それがほんとうの意味での自信になるのかもしれない。
上田何年間か本が書けなくて、悶々としたときがありました。それで、編集者が「ちゃんと書いてください」って僕をある保養所に缶詰めにしたんです。それがね、富士山の全景がパーッと見える場所で。
名越そこを選んでくれたのは名編集者やな。
上田それでやっと原稿が書けるようになった。というのは、〈世間にではなく、富士山に向かって書くんだ〉と思えたからなんです。富士山に向かって嘘偽りなく、自分がいちばん書きたいことを書く。評価は二の次で構わない、と。
名越なるほど! 僕は真言密教を研究しているのですが、「入我我入(にゅうががにゅう)」という、自分が仏のなかに入っていく行法があるんですね。仏というのは大日如来だったり、あるいは月輪といった満月だったりするんです。絶対的な対象と自分が呼応していくなかで、相対的な世界が気にならなくなる。上田先生が経験されたのは、その境地に近い気がします。
上田それは面白いですね。
名越人間の尺度を超えたものを信頼することで、ほんとうの意味での自信を得られることがあるんですね。
上田確かに富士山のような対象に目を向けると、心が強くなれる気がします。非常に興味深いですね。今日はとても楽しいお話でした。ありがとうございました。

精神科医
名越康文(なこし やすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。近畿大学医学部卒業後、大阪府立中宮病院(現・大阪府立精神医療センター)に勤務。99年に同病院を退職。臨床に携わる一方、テレビやラジオのコメンテーターや映画評論など、さまざまな分野で活躍中。近著に『Solo Time 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行)。
文化人類学者
上田紀行(うえだ のりゆき)
1958年、東京都生まれ。東京大学卒業後、同大学院博士課程修了。現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長。86年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行ない、現代社会の諸問題にも提言し続けている。また、「人間としての教養」を合言葉に東京工業大学での教育改革を主導している。近著に『人間らしさ――文明、宗教、科学から考える』(角川新書)。
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