「無明の自覚」の先にあるものは
名取現役時代の舞の海さんといえば、素早い動きと多彩な技が魅力でしたね。とくに印象に残っている取組は、何と言っても八艘(はっそう)跳び! 立ち合いで飛んで横に着地し、一気に相手の後ろに回り込むという、あの大胆な作戦はどこから生まれてきたのですか?
舞の海あれは、大学時代の友人が「最近のお前の相撲はつまらない、立ち合いで変化するにしても中途半端だ」と言ってきて、さらに「相手の上を飛び越えてしまえばいいじゃないか」と言い放ったんです。そのときは「ふざけたことを言うな!」と思いましたが、よくよく考えてみると、相撲は土俵の上の空間をどれだけ使っても負けにはならないんですね。土俵を平面で見るんじゃなくて、円柱としてとらえたわけです。これまで自分は、何と狭い枠のなかで相撲を取っていたのかと痛感させられました。
名取舞の海さんが経験された「自分はまだまだだな」という気づきを、仏教では「無明(むみょう)の自覚」といいます。でもこれって、いまの自分を否定しなければならないわけで、すごく勇気のいることなんですよ。それを謙虚に笑って受け止められるかどうか。失敗をしたときに、人間は本性が出るなんてよくいわれます。ただ落ち込むだけではなくて、笑顔でいられる自分でありたいと思いますね。
舞の海平成27年7月の名古屋場所のテレビ解説で、私は「白鵬はずいぶんと力が落ちた」とコメントをしたんです。そして、千秋楽の優勝インタビューで白鵬が「そういう寂しいことは言わず、温かく見守ってください」と発言して……。そのときも解説席に座っていたのですが、「自分のことを言っているな」って(笑)。すると、テレビカメラがパッと私をアップで映すんですよ。あそこで恥ずかしがったり、ムッとした表情を見せていたりしたら、自分の度量の狭さを晒すようなものですから、「勉強になりました」と言って、笑って謝るしかありませんでしたね。
名取私もテレビで見ていましたが、あのときの舞の海さんのリアクションは視聴者の目線を気にしたようなものではありませんでしたよ。ほんとうに“素”だったと思います。
舞の海確かに、失敗したときは明るく……。
名取ですから、そのためにも「本性」を常日ごろから磨いておくしかないんでしょうね。それが仏教では「修行」ということになるのだと思います。