日本伝統仏教者のためのマインドフルリトリート

【基調講演3】「仏教における戒律の問題と、マインドフルネスの意義」 その3

蓑輪顕量先生
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蓑輪先生の基調講演終了後の質疑応答セッション

最澄の新しい解釈

最後は日本における展開です。鑑真によってインド伝統の戒律が正式に伝えられる一方で、大乗の菩薩特有の戒も伝えられました。

奈良時代は律蔵に基づいて授戒をし、菩薩戒もそのあとで授戒するという併用の形式がとられました。これは、当時の東アジア世界の伝統です。ところが、ここで大きな展開が一つありました。それは、日本の天台宗の僧侶・最澄が、大乗の菩薩戒だけで一人前の僧侶になれるとの主張を展開したことです。『四条式』『顕戒論』『血脈』という名前で呼ばれるもので、朝廷に提出されました。

古代の日本は、朝廷、いわば国が仏教を必要としていて、仏教者は国の支配下に置かれている。今風に言うと、国家公務員のような存在と考えていいと思います。

ですから、お坊さんになる授戒の時から、朝廷の戒を受けました。また、そのような中で新しいことを主張していくとき、朝廷に申し上げて認めてもらわないといけない訳です。そこで最澄は、『四条式』というのを書きますが、この中には次のようにあります。

一者大乗大僧戒(いちにはだいじょうのだいそうかい)。十重四十八軽戒を制し、以って大僧戒となす。

二者小乗大僧戒(ににはしょうじょうだいそうかい)。二百五十等戒を制し、以って大僧戒となす。

最澄は大乗には「大僧戒」というものがあって、『梵網経』の中に説かれる精神的な戒を授戒し、受理、それを守っていくことで実は一人前の僧侶なのだとした訳です。

こうして、サンガを他の人の批判から守る規則(戒律)より精神的な在りようが出家者にとって、最も大切なのではないかという視点を、最澄は提供しました。そして、これが朝廷に認められて、日本の仏教界の中では、インドからの伝統とは異なる形のものが一人歩きをしていくこととなりました。

大乗戒の影響というのは、(出家、在家を含む)七衆の戒と菩薩戒の混交が生じたというふうに言えるのではないかと思います。そのため、出家と在家の違いがわかりにくくなった。日本の仏教では、出家と在家の違いは、実は外見的な所で区別されています。お坊さんは剃髪をして衣を着ているというのがメルクマールになります。

戒律復興の兆し

たしかに律蔵の中に出てくる、細かい煩瑣な、立ち小便をしてはいけないというような戒律については、生活習慣の違う世界ではほとんど意味を持たないものです。しかし重要な「波羅夷はらい法」的なところは、私はやはり継承したほうが良かったのではないか、という気がしています。

日本の仏教の展開では、中世の時代に、菩薩戒と具足戒の融合が起きてきます。僧侶の中には、破戒、無戒というような言葉も登場するようになって、戒そのものが無いのだという立場を取る者も現れました。

そして、戒よりも大切なものが「信」、「信じる」ということだ、という言い方をする人たちも登場してきます。これは鎌倉時代の仏教者の中にそういう傾向が見られます。
浄土系、日蓮宗系なども「信」を強く主張します。また菩提心を強調するような者も出てきますし、戒は精神的なものだから、菩提心が一番大事だとする者も出てきます。

こうした中、日本仏教では、中世の時代、それから近世の初頭、近代の初頭に戒律の復興の兆しも見えてきます。最近も、奈良の西大寺(真言律宗総本山)、般若寺の若手僧侶たちが、戒律、具足戒をもう少し大事にしようという意識をもって、活動しているという話を聞いています。

「戒」。これはとても大事なものです。その大切さをきちんと認識し、心の観察をしっかりと行って、その大事な点を自分の言葉でちゃんと語れるようになれば、日本の仏教も必要不可欠なものとして、再評価されるのではないかと思います。僧侶は、在家の人たちから常に見られていて、福田を期待されているという側面があることも忘れてはいけない、そんなふうに感じています。

また、日本は、山岳信仰が盛んな地域でした。そのような地において、呪術的なものが好まれているという傾向もあったように思います。願いを叶える、というようなことが正面に出すぎてしまっていた、とも考えられます。

私たち人間が必ず持っている悩みや苦しみを超えていく手立てを、仏教はちゃんと伝えていって欲しい。僧侶がそれを実践して伝えていけば、仏教も必ず必要不可欠なものとして生きていくのではないか。そのためにも、戒め、戒律というものは、とても大事なものだと感じています。

總持寺 三松閣4階の大講堂でのプラムヴィレッジ僧侶団との記念撮影。
前列左二人目より、藤田一照師、村山博雅師、ブラザー・ファプチャック、蓑輪顕量先生

(基調講演3 了)

蓑輪顕量みのわけんりょう
1960年、千葉県生まれ。東京大学大学院教授。東京大学大学院を終了。博士(文学)。愛知学院大学文学部助教授、教授を経て、2010年4月より現職。専門は日本の仏教、仏教思想史。一般書として『日本の宗教』(春秋社、2007)、『仏教瞑想論』(春秋社、2008)、『日本仏教史』(春秋社、2015)、編著に『お経で学ぶ仏教』(朝日新聞出版、2012)、『事典 日本の仏教』(吉川弘文館、2014)などがある。
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