柞(ははそ)と、古母(ふるぼ)
――腐葉土が作られる雑木林にそんな大きな力があるとは知りませんでした。
(写真・PIXTA)
ラテン語で腐葉土のことを「フムス」といいます。これは「ヒューマニズム」の語源です。ドイツ語では「ヒュッターボーデン」といって、「母なる土」という意味があります。つきつめていくと「人間は腐葉土のように他者を育てる存在になれ」という意味もあるそうです。
日本にも奈良時代の古い言葉に「ははそ」という言葉があるんです。漢字で「柞」と書きますが、クヌギやコナラ、ミズナラなどの雑木林にある木々をそう呼んでいたそうです。万葉集などにもたくさん出てくる言葉なんですね。
気仙沼は魚だけでなく、短歌も盛んなところなんです。元来、貴族のものだった短歌を庶民のものにしようと、近代短歌の確立に努めた明治から大正にかけての国文学者・落合直文(なおぶみ)の出身地だからなんです。いまも「落合短歌祭り」が毎年開催され、何千首もの短歌が生まれてきました。その薫陶を受けた田園歌人の一人に熊谷武雄という人がいました。その歌碑が気仙沼の宝鏡寺というお寺に建っています。
「手長野に 木々はあれども たらちねの 柞のかげは 拠るにしたしき」
という歌で、〈手長山にたくさんの木はあるけれど、柞林の側にいくと、まるでお母さんの側にいるような気持ちになる〉という意味です。「たらちね」というのは、お母さんを象徴する枕詞ですね。つまり昔の人も雑木林を、いのち育む「自然界の母」となぞらえていたということなんです。また西洋でも中国、インドでも雑木林を「いのちの源泉」ととらえる意味の言葉があるんですね。
その根本となっているのが「フルボ酸」なんです。私はフルボ酸といっても覚えてくれないから、学生に漢字をあてて「古母」と書く、と冗談で教えたんですが、あながち間違いではないと思っています。「柞」(ははそ)と「古母」(ふるぼ)。やっぱり母は強しです。
――畠山さんは、そのお母さまを震災で亡くされたと……。
当時、市内の福祉施設にいた母は津波で亡くなりました。93歳でした。頭はしっかりしていましたから、私が本を書くときなどはよく原稿を読んでもらいました。
その母がいつも言っていたことは、「人まねはだめだ」ということでした。オリジナルの大切さですね。これまでの私たちの活動は、自分たちの郷土から見いだしてきたということでした。ふるさとの文化を大切にする。それは他所の人まねではないから、広く世界の方々にも受け入れていただいているということなんです。
それを大きくとらえれば、この国のあり方にも通じることではないかと思います。日本は、真ん中に高い山脈があり、そこから日本海、太平洋に大小約3万5千本の川が流れ込んでいます。そのありのままのオリジナルの自然から米が作られ、魚介類が捕れる豊かな恵みをもたらしてくれます。その「黄金律」ともいえるような教訓が、森と川と海の母なる自然の関係を壊さないことなんです。
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