自分にとって、父親とはどんな存在だったのか。
各分野で活躍する男たちが語る、心に残る父の言葉。
「名前が肩書になる生き方は面白い」
©村松真砂子
女房に捨てられた夫と、母親に捨てられた息子
オヤジが外交官だった関係で、小学生のころは中東諸国を中心に住んでいました。そんななか、母親が他の男性と家を出ていってしまったのは、僕が11歳のときでした。
兄が一人いますが、高校受験で日本にいて、残されたのは僕とオヤジだけ。東大を卒業して、外務省に入ったエリート官僚初の挫折が、女房に逃げられたことだった。相当キツかったと思います。それを機に、酔っ払って弱音を吐くオヤジの姿をたびたび見るようになりました。
オヤジは「女房に捨てられた夫」。僕も「母親に捨てられた息子」。このころから、親子でありながら共に支え合う仲間のような関係になっていきました。
二人でよく出かけるようになり、オヤジは仕事現場に僕を連れて行ってくれるようになります。ときには銃声が鳴り、地雷の埋められている場所を通り抜けたこともありました。
たまたま訪ねた救急病院でのことです。病院のロビーはケガ人であふれ、廊下には医者から見放された患者が寝かせられていました。その光景を見てオヤジは僕にこう言いました。
「いいか、すべての物事にはA面(表)とB面(裏)があるんだ。そして、テーマはいつもB面にある」
多くの人びとが集り、にぎわう場所はA面、貧困や暴力などで荒廃している場所がB面。オヤジはいつもB面のことを考えて仕事をしていたのでしょう。いま思うと、僕がアルピニストでありながら、困っている人びとに手を差し伸べる支援活動を続けているのは、オヤジのそういった後ろ姿を見てきたからではないかと思うのです。
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