箱根駅伝が夢のまた夢だった大学を、監督と共に常連校に育てあげ、3連覇に導いた青山学院大学 陸上部部長・内山義英さん。現在の快進撃からは想像もつかない苦労の時代があったようです。どのように選手を育成されたのかお話を伺いました。
最も力を注いだのは人間性の育成
箱根駅伝は、前年の本大会でシード権を獲得した10校と、予選会を通過した9校、そして関東学連選抜チーが参加することができます。
青山学院大学は2009年に33年ぶりに念願の出場を果たしたあと、9年連続出場、さらに3年連続3度目の総合優勝を達成しました。
――― 勢いにのる青山学院大学ですが、箱根駅伝出場が夢のまた夢という時代があったそうですね
本校が箱根駅伝出場の目標を掲げ、同部「長距離ブロック」選手育成のための強化指定部体制をスタートさせたのは2004年。
とはいうものの、そこには3年以内に結果を出さなければ、この体制は打ち切りという条件が出されていました。
当時、副部長だった私と、私の恩師でもあった部長、就任したばかりの監督は大学の意を受けて、緊張感をもってスタートを切ったわけです。
しかし、発足当初、肝心の部員たちは雨が降れば練習を休み、練習中にはコンビニで雑誌を立ち読みするといったありさま。箱根駅伝出場は、夢のまた夢といった状態でした。
部長と監督、私は、この状況を改善するために、次の4つを部員たちに意識づけました。
●あいさつをする
●寮の玄関で履物をそろえる
●寮の近隣の清掃を定期的に行なう
●激励の手紙をいただいたら返事を書く
つまり、人間性の育成です。
部員たちの普段の生活は、そのまま記録に反映されます。
人として当たり前のことができなければ、箱根駅伝出場は無理とみたのです。
一方、部員たちと最もかかわりのある監督は、技術面で、部員たち自身が現在の実力を把握したうえで、明確な目標を導き出し、行動を起こせるはたらきかけをしていきました。
人間性と技術面の向上で始まった強化指定部体制が、軌道にのりかけた就任2年目の秋のことでした。
翌年の箱根駅伝出場の権利を得るための予選会直前に、スポーツ推薦枠で入った新入部員と監督が指導をめぐってぶつかり、3人が退部するという事態が生じたのです。
チーム内は崩壊の危機に陥りました。案の定、予選会は十六位の惨敗。学内に強化指定部体制廃止の声があがりました。
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