インタビュー

間違えられた苦の原因 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー①

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

――現代で言えば、苦しみの原因はたくさんあります。病苦という言葉もありますし、経済的な困窮、人間関係の悩み・苦しみ、リストラ、挙げればきりがないでしょう。

ブッタの時代、古い昔のインドですけれど、苦しみの原因はさまざまに考えられてきました。代表的なのが、バラモンによる、苦しみとは神々の意志で決定されるというものです。神々によって苦しみが生じてくるのだ、と。こんな神意論というものがよく説かれていました。

ですから古代インドのバラモンも民衆も、神々のご機嫌を取るように、生けにえや供物を捧げたりなどしていました。神々の意思によって、苦しんでいる人もいれば、また、幸せになっている人もある。そういう考え方があったわけです。それに対して、ブッタは「いや、そんなことはありません」と、ちゃんとそこは否定したわけです。

そしてこの神意論のほかに宿命論というものもありました。

たとえば私たちは、過去のカルマ、いわゆるごうですね。そのために今、あなたは苦しんでいるんだよ、という考えも流布していました。すなわち、前世の業ゆえに、今世で苦しんだり、幸せになったりしているという考え方です。今世というのは、過去に為した業、言ってみれば、そういったシナリオによって今世の幸せも苦しみもすべて決められているんだという説です。これに対してもブッダは「ノー」と言ったんです。

その他に偶然論、因果関係とか、そんなものはなくて、すべてはたまたま偶然によって苦も楽も生じてくる。こういった考えに対してもブッタはしっかりと否定しました。

 

苦しみの原因――無明、渇愛、執着

それでは、そういった苦しみはどうして生ずるのかというところを、ブッタは、自分自身を人体実験のようにして――厳しい修行をいろいろ積み重ねたうえであきらかにしたわけです。それで何を苦しみの原因とみなしたかといえば、一つには「無明」です。無明はすべての苦しみの根源、根本原因であると仰った。無明とは真理に明るくない、無自覚で何がどうなっているのかがはっきりとわかっていないということです。

あるいは渇愛かつあい、「あれが欲しいこれが欲しい。あのようになりたい。あのようにはなりたくない」などといった気持ち、一般的には、「欲」といわれるものです。
それから執着しゅうじゃくですね。仏教語では「しゅ」と書きます。その意味は「とらわれ」です。これら「無明」「渇愛」「執着」が苦しみの原因だと、ブッタは説かれたのです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る