――古代インドの宿命論とか、過去世まで言わなくても、過去のいろいろなトラウマが、苦しみの原因だとか。あるいはインドでいう神々までにはいかないまでも、どこかの誰かさんが、会社の上司がとか、うちの旦那がとか、苦しみの原因を他者の責任にするようなところもあります。
そうですね。そうなりがちですね。ここで忘れないで欲しいのは、「因」というのは原因という意味ですが、「縁」という言葉もありますね。本当は因と縁(因縁)とが合わさって結果が出る。そういう法則が厳然とあるわけなんです。
縁は間接条件。そして因の方は直接原因となります。ですから、ブッタは直接原因として無明、渇愛、執着を挙げましたが、普通「苦」の原因と私たちがみなしている、経済問題とか、人間関係の問題とか、病苦とか。これらは間接条件にあたるものであるということ。つまり、原因そのものではないというところが肝心です。
ところでブッタ曰く、苦の因は「無明」だよ、「渇愛」、「執着」だよ、と。すなわち、今、ここで、私たちが気づかずにいる心の作用が苦しみをもたらしているんだよ、と説かれた。この辺をはっきりとさせていくことはすごく大事なことなのです。
例えば、人間関係だとか、経済お金とか、健康とか。身体であるとか、他者であるとか、経済、モノであるとかに焦点を当てて、それを私たちは苦しみの原因とみなしてしまっている。しかしそれらはすべて間接条件です。また、心にフッと湧き上がってくる過去の記憶やイメージ、これらも間接条件となります。
こうした外部環境に生ずる出来事や心の中に生じてくる現象、それらに対して無明、渇愛、執着といったようなもので捉えてしまっている限り苦しみのサイクルは尽きることがないよと。そのようにブッダは説かれたのです。
タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。
以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。
近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、ワークショップから、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。
著者:カンポン・トーンブンヌム
監訳:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,400円+税
発行日:2007年11月
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