インタビュー

「十二因縁」苦しみの連鎖を抜ける スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー③

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――web連載の3回目です。今回は、十二因縁について教えていただけるのでしたね。よろしくお願いいたします。

はい。ブッタがお悟りになったときに観た世界――それは「縁起を観た」と言われています。

そして縁起と言ったとき、このweb連載の初回で申し上げた、

此が有れば彼が有り、此が無ければ彼が無い。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。

こういった縁起もあるのですけれど、それをもう少し詳細に説かれたものが、「十二因縁(十二支縁起)」という教えです。

無明むみょうから始まって、行が生じて、そして識が生じる。そして名色が生じて、六処、そく、受が生じ、渇愛が生じて、取が生じ、そしてそれから有が生じ、生が生じ、そして、老死・愁悲憂苦悩が生じる。

十二因縁というのは、無明に端を発して連鎖、循環していく絶え間ない苦しみのサイクルであり、輪廻の輪と言ってよいものです。

しかしブッダは、そこから脱していく、解放されてゆく道があることを見破り、その道を示したのです。

前回、「無明」という言葉をご紹介しました。苦しみの根本原因でしたね。心の中にフッと湧き起こって来てしまう気分や情動などもすべて無明が原因であると申し上げました。

それから「渇愛」、そして仏教用語で「取」と呼ばれている執着についても説明しました。無明、渇愛、取、いずれも十二因縁に含まれています。ブッダは自身が看破したそのような苦しみの原因と結果の法則を、相手の資質に応じて、また時宜に応じて、対機説法的に説いてこられたわけです。

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