【編集部注】「仏教的カウンセリング」では当ダーナネット編集部が公募した「悩み相談」に解答をしていただいております。
ご相談者の許可のもと編集の上で掲載しています。ご本人の希望で名前は匿名とさせていただきます。
「『生きとし生けるものが幸せでありますように』などと慈悲の瞑想をしながら、いわゆる害虫は殺してしまいます。殺生をする自分との間に矛盾を感じます。蚊やゴキブリを殺しても、何となく後ろめたく、殺してから不愉快な気分になってしまうのです。」
なるほどね。その気分、よくわかります。なぜかと言えば、私自身も出家してすぐの頃に同じようなことで悩んでいたからです。「『気づきの瞑想』を生きる」という本で当時のことを詳しく述べているのですが、私も生き物を絶対に殺してはならないと思って、お寺の森の木の下にじっと座って、蚊に刺されまくったりしていたんですよ。
しかし、師からそうした行動は戒められました。師からは「自分自身も痛めつけることなくやりなさい」と。具体的には、ちゃんと蚊帳を吊って瞑想をすることを勧められました。自他共の抜苦与楽を目指すことが大事だということですね。
虫を殺して、後ろめたさや不愉快な気分になるのであれば、できるだけ殺生しない工夫をしてみたらいかがでしょうか。そして、出会った際に、追っ払ったり、逃がしてあげたりすれば、あえて殺さないでも済みますよね。
あなたのそうした心の痛み自体が慈悲心の表れなのです
作画・鈴木勝美(ざぼん)
慈悲の瞑想は自分を苦しめるためにやるものではありません。自分自身も含めた生きとし生けるものが、お互いさまできるだけ苦しまずに、幸せに共存できるようにとの祈りです。祈りを祈りで終わらせずに、今ここで、しっかりと気づきを持って、自他共に苦しまずに、幸せに生きるための実践を心がけてまいりましょう。
でもときに我を忘れ、蚊やゴキブリを殺してしまうことがあるかもしれませんね。そうした際には、自分の心を見つめてみることをお勧めします。
不愉快な気分が生じてきたら、それを否定しなくてもいいですよ。あなたのそうした心の痛み自体が慈悲心の表れなのです。ですから、その気分をじっくりと味わい、受け止めてあげます。自分の気持ちを否定したり嫌悪したりすることも、蚊やゴキブリを殺すのと同じくらいに自分をいじめ苦しませることになります。不愉快な気持ちや嫌悪感にこだわって自分を苛み続ける必要はないのですよ。
そして、「これからはしっかりと気づきを持って、蚊やゴキブリをむやみに殺してしまわないように気をつけよう」と心に刻みましょう。そして、できるだけ蚊やゴキブリが発生しないように、環境を清潔に保つなどの工夫を考えていかれるとよろしいかと思います。
プラユキ・ナラテボー
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タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。
近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、ワークショップから、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。