【編集部注】「仏教的カウンセリング」では当ダーナネット編集部が公募した「悩み相談」に解答をしていただいております。
ご相談者の許可のもと編集の上で掲載しています。ご本人の希望で名前は匿名とさせていただきます。
「手動瞑想の習慣化に苦戦しています。元々じっと座っていることがとても苦手で、手を動かしてはいるものの、3分ほどでお尻がムズムズして、もうやめたい!と思ってしまいます」
「手動瞑想をされている方のツイッターを拝見していると、『すっきりする』や『覚醒する』など、気持ちの良さそうな成功体験が沢山見受けられ、自分はダメだなぁと感じてしまいます」
「とにかく続けることが大事だと思い、アプリを使ったり色々と工夫しているのですが、先日たまたまラジオが耳に入る環境で瞑想した時、いつもなら長いなーまだ終わらないかなーと思ってしまう10分の瞑想が、あっという間に終わっていました。これだったら苦痛なく毎日、もっと長い時間でも瞑想できそうと思ったのですが、同時に『いやいや、そんなのは邪道で、意味も効果も無いんじゃないか』とも思いました。お恥ずかしい質問ですが、ラジオや音楽等を聞きながらの瞑想について教えていただけると幸いです」
質問者:さくら
「まずは観察にこだわらず、気づいて受け止めたら、さっと手に意識を戻していくことが大事です」by ナラテボー
作画・鈴木勝美(ざぼん)
さくらさん、こんにちは。手動瞑想についてのご質問ですね。まず、この瞑想を実践するにあたって大事なポイントを3点述べておきます。
一つ目は、「こうあるべきだ」といった前提を設けず、「何が起こってもオッケーだよー」というオープンハートの態度で臨むこと。
二つ目は、言語化(ラベリング)せずに、手の位置を一コマ一コマ丁寧に気づいていく。
三つ目は、何が生じてきても、あるがままに受け止めて、また手に意識を戻す、という作業を繰り返すことです。
ご質問によれば、「じっと座っていることが苦手で、手を動かしてはいるものの、3分ほどでお尻がムズムズして、もうやめたい!と思ってしまう」ということですね。
まずご理解いただきたいのは、こうした現象は手動瞑想をはじめとした気づき・観察系の瞑想においては、誰にでも起こることで、また決して「悪いもの」ではないということです。私たちはそういった感覚や思いが起こるや否や、「瞑想がうまくいかない」と判断し、「自分は瞑想には向いていないのではないか」などと悩み、せっかく始めた瞑想をやめてしまったりします。
しかし気づきの瞑想は、そういうものではありません。心の現象をあるがままに気づき、受け入れ、観察していくことによって心についての理解を深めていくことが目的です。ですから、今まで気づかずにいたそうした体や心の現象に気づくことができるようになってきたことはむしろ歓迎していいのです。
ところで、最初から心を観察していこうとしても、気づきの力が十分に培われていなければ、感情に翻弄され、思いを増幅するだけになってしまいます。したがって、まずは観察にこだわらず、気づいて受け止めたら、さっと手に意識を戻していくことが大事です。そのうちに手を動かしながら自然と心の観察もできるようになっていきます。
具体的には、お尻のムズムズが生じてきたら、その感覚にあるがままに気づいて受け止める。そして手に意識を戻す。「もうやめたい!」という思いが湧いてきたら、それに気づいて受け止める。そして手に戻す。という感じで取り組んでみてください。その際、「雑念(妄想)が湧いてきた、いかんいかん……」と否定しないことが大事です。なぜならそれすなわち思考の増幅であり、自己嫌悪や自己否定に繋がってしまうからです。
それからさくらさん、瞑想を続けることが大事だと思って、アプリを使ったりなど色々と工夫を凝らしているようですね。とてもいいことです。そして、ラジオが耳に入る環境で瞑想した時、「いつもなら長く思う10分間の瞑想が、あっという間に終わっていた」。しかし後になって、「そんなのは邪道で、意味も効果も無いのでは」という疑問がもたげてきたということですね。
たしかに手動瞑想はわざわざ静かな場所を選ぶ必要はなく、どんな場所でも実践可能です。ですからラジオが耳に入る環境でやっていただいてもちろんオッケーです。大事なのは、その際、手への気づきをちゃんと伴っているかどうかです。ラジオの内容に気を取られ、手への気づきがまったく伴っていなければ、瞑想効果は期待できません。音楽を聴きながらも同様です。できれば音楽はBGMぐらいにとどめて、あくまでも手の一コマ一コマに気づくことに重きを置いていかれてください。
そんな感じでやっていけましたら、きっと近いうちにいろんな効果が実感できるようになると思いますよ。何事も軌道に乗るまでは大変ですが、いったん軌道に乗ってしまえば、無理なくできるようになります。応援しています!
プラユキ・ナラテボー
タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。
近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、ワークショップから、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。
「気づきの瞑想」を生きる タイで出家した日本人僧の物語
著者:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,800円+税
発行日:2009年8月
「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方
著者:カンポン・トーンブンヌム
監訳:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,400円+税
発行日:2007年11月
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