悩み相談

「自分を最高に生かし切るにはどうしたらいいのでしょうか?」 答える人:プラユキ・ナラテボー

プラユキ・ナラテボー
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【編集部注】「仏教的カウンセリング」では当ダーナネット編集部が公募した「悩み相談」に解答をしていただいております。ご相談者の許可のもと編集の上で掲載しています。ご本人の希望で名前は匿名とさせていただきます。
「この世には、いまだ、理不尽な差別、貧困に苦しめられている人々が少なくありません。プラユキさんの出家の動機も、そのような世間の矛盾に向き合うという側面も強かったと拝察します。しかし私のような無力な人間は、手をこまねいているだけで何もできません。ただ、私が最近思ったのは、「自分を最高に生かし切る」ということで、何かその糸口が掴めるのではないかということでした。こんな私でも、人様のお役に立つ道をご教導ください。」

質問者:匿名希望

「自らの心を整え、今ここで具体的に人様のお役に立つことが一番大事」by ナラテボー

作画・鈴木勝美(ざぼん)

「人様のお役に立つ道」についてのご質問ですね。おっしゃる通り、私自身大学生時代、世界に、そして日本社会にもまだまだ蔓延っている貧困や理不尽な差別の問題に関心が向かい、人々が直面する苦しみの解決のためにいったい自分に何ができるかということがテーマとなり、留学先のタイでこうした問題に積極的に関わっているタイの僧侶たちの姿に感化されて出家しました。このあたりの詳細については、ちょうど先日アップされた禅僧の藤田一照さんとの対談記事でも言及していましたね(「藤田一照 プラユキ・ナラテボー対談:「大乗と小乗を乗り越え結び合う道」その5」 [https://dananet.jp/?p=8764])

ところで、私自身そんな社会問題的な関心から仏門に入ったのですが、修行を通して、「自らの心を整え、今ここで具体的に人様のお役に立つことが一番大事」ということ、それすなわちブッダの推奨する「慈悲の実践」だということがわかりました。

こうしたことが分かるまで、遠くの国にある他者の「問題」にばかり目が向き、そういった惨状を憂い、悲しみにくれたり、憤ったりしていました。それでタイやフィリピン等の国を訪れ、開発援助に携わったり、ネパールで植林ボランティアなどしていたわけですが、結局根本的に大事なところがわかっておらず、心も疲弊してしまっていたわけです。

根本的に大事なところとは、一言で言うと「脚下照顧」です。禅の言葉で「足元を観よ」ということ、すなわち自己反省、そして日常生活の見直しを促す言葉です。私はこれを「自分の心を省みること」と「今ここでの身近な人たちとの一期一会を大事にすること」と解釈しています。

私たちが現実に生きているのは「今・ここ」です。そしてできることも「今ここ」で、です。これが分からなかったかつての私は、遠い国に思いを馳せ、ただただ憤ったり嘆いたりして心を消耗させ、苦しみや混迷を自ら深め、人に会っても今ここに心あらずで、心のこもった対応ができずにいました。

幸いなことに私の場合、仏道とのご縁があり、過去や未来を思い悩まず、今ここで自分のできることに最善を尽くして生きることができるようになりました。それによって、かつてのように心を疲弊させることなく、今ここに全力で取り組み、成果を出すこともできるようになってきました。

あなたはメッセージに、「『自分を最高に生かし切る』ということで、何かその糸口が掴めるのではないか」と書かれていらっしゃいましたね。その言葉は、私自身、生き方や考え方が大きく転換する際に鍵になった直感と同じもののように思います。

「自分を最高に生かし切る」には、今ここで自分ができる人様に喜んでもらえるようなこと、例えば、明るく挨拶したり、やさしい言葉がけをしたり、ゴミを拾ったりなど、どんな小さなことでもいいから具体的にやってみる、ということが大事だと思います。

あるいはあなたがこれまでの人生で培って来られた能力や技能を何らかの形で、人様のために提供していく、というのもいいですね。そうしたあなたの具体的な行動によって、助かる人もきっと多いでしょう。

かつて自分がそうだったように、私たちは遠くの場所に思いを馳せ、憤ったり嘆いたりなどの不要な感情アクションや、やってもみないうちから「こんな問題が出てきたらどうしよう…」など取り越し苦労をする思考アクションで時間とエネルギーを無駄にしてしまいがちです。

そうした心のアクションを休ませて、いま目の前の人のためにできることを、心を尽くして具体的に行なう。こうしたことを心がけ、実践されていくのがよろしいかと思います。応援しています!

プラユキ・ナラテボー

プラユキ・ナラテボー
1962年、埼玉県生まれ。上智大学哲学科卒業。大学在学中よりボランティアやNGO活動に深く関わる。
タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。
近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、ワークショップから、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。

プラユキ・ナラテボー師 よき縁ネット https://blog.goo.ne.jp/yokienn
〈書籍情報〉
「気づきの瞑想」を生きる タイで出家した日本人僧の物語
著者:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,800円+税
発行日:2009年8月
〈書籍情報〉
「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方
著者:カンポン・トーンブンヌム
監訳:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,400円+税
発行日:2007年11月
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