悩み相談

「未来に目が向いて『今ここ』を見つめることができません」 答える人:プラユキ・ナラテボー

プラユキ・ナラテボー
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【編集部注】「仏教的カウンセリング」では当ダーナネット編集部が公募した「悩み相談」に解答をしていただいております。
ご相談者の許可のもと編集の上で掲載しています。ご本人の希望で名前は匿名とさせていただきます。

「仕事上、『目標』とか『ビジョン』とか、未来に達成すべきことを常に要求され続けます。多くの働く人がそうだと思いますが、『今ここ』よりも未来ばかり考えさせられるのです。現実社会で働きながら『今ここ』を見つめるメリットやコツはありますか?」

なるほど。たしかに現実社会、とりわけ営利企業であればなおのこと、「目標」や「ビジョン」をしっかりと描き、未来における目標の達成、すなわち結果を出すことを要求されますね。ところが一方、仏教や瞑想では「今ここ」が強調される。質問者さんはそのあたりの相克にお悩みなのではないかと思います。

 

ブッダの言葉にこんなのがあります。

 

「過ぎ去れるを追うことなかれ

いまだ来ざるを思うことなかれ

過去はすでに過ぎ去り

未来はいまだ到らざるなり。

さればただ今するところのものを

そのところにおいてよく観察すべし

揺らぐことなく、動ずることなく

そを見きわめ、そを実践すべし

ただ今日なすべきことを熱心になせ」

(「一夜賢者の偈」一部抜粋)

 

たしかに、今ここをよく観察し、今日なすべきことを熱心にせよ、という趣旨になっていますね。「いまだ来ざるを思うことなかれ」と、未来の結果に想いを馳せることを否定しているかのようで、現実社会で要求されていることと対立するように感じられるのも無理ないかもしれませんね。

 

でも実際は、そうではありません。仏教は現実に結果を出すことを何よりも重視している教えなのです。ではなぜ「今ここ」が強調され、「未来を思うことなかれ」なのでしょうか。

 

まず考えてみてください。今ここに心あらずで、未来にばかり意識が飛んでしまい、「こんな目標達成することできるかなぁ…もし失敗したらどうしよう…上司にこっぴどく叱られるだろうな、もしかしたら会社辞めることになるかもしれないな…そうなったらどう生きていけばいいんだ……」などなどと考え込んでいたら、心配や不安も次々と頭をもたげ、仕事どころではなくなってしまうのではないでしょうか? さらに進めば感情障害やうつにもなりかねません。

 

ブッダが「今ここ」を強調したのは他でもありません。まずはそうした私たちがついつい我知らずのうちに無意識に行ってしまっている「取り越し苦労」、すなわち、無駄な考えごとによって自ら心を疲弊させ、時間とエネルギーを浪費させるのを食い止めるためです。

 

未来を心配することなく、今ここに心を置いて――

作画・鈴木勝美(ざぼん)

ブッダは「今ここ」の気づきと観察を強調しました。今ここの心の状態やプロセスに気づき、観察する「気づきの瞑想」などの訓練を日頃から行っていれば、先ほど紹介したような考えごとがフッと浮かんできても、すぐそれにパッと気づいて、手放すことができるようになります。「目標達成できるかなぁ…パッ!」という感じで我にかえり、その後の無駄な思考による不安物語づくりを食い止められるのです。

 

そしてさらに、「よし、目標達成のために、今ここでできるだけのことをしていくぞ!」と、前向きに目標を達成するための具体的な作業に取り組んでいくことが可能になります。先ほどの偈文の「今ここで実践すべし。ただ今日なすべきことを熱心になせ」の部分ですね。

 

少し前に「いつやるの、今でしょ!」という言葉が流行りましたね。そこでも「今」が強調されています。なぜなら、受験の合格であれ、仕事での目標達成であれ、その結果が出るかどうかはすべてその原因次第、すなわち、今ここでどれだけ実際に課題に取り組んだかどうかによるということなのです。

 

未来の不安なイメージ描写や悲劇の物語づくりという作業にうつつを抜かしているその時間、今ここでの作業はまったくなおざりにされ、何の進展もありません。一方、そうした無駄な思考作業を止めれば、そのために失っていたであろう余剰時間とエネルギーをすべて目標達成のための具体的作業に充てることができるのです。

 

未来における達成や成功が得られるかどうかということは、未来についての無駄な妄想にふけらず、今ここでの作業にどれだけ熱心に取り組めたかどうかにかかってきます。よって、目的やビジョンを設定したら、あとは未来に思い煩うことなく、ただ熱心に今ここでなすべきことをなせばいいということです。

 

いかがでしょうか? 今ここを大事にしていくメリット、ご理解いただけましたでしょうか? ところで、私たちに染み付いた未来の妄想にふけって、今ここをおざなりにするという癖は根深いものがあります。そうしたパターンを、「今ここ」に気づき、今ここでなすべきことにベストを尽くすというスタイルを変えていくためには、トレーニングが必要です。それには、気づきの瞑想により、今ここに気づき、自分を見つめていく練習を重ねていくこと。そして実際に、今やるべきことに一つ一つ丁寧に取り組むというパターンを繰り返していくことが一番有効かと思います。

 

ということで、いつやるの、今でしょ! 今ここから、「今ここ」を生きる習慣づくりを始めてまいりましょう。レッツビギン!

 

プラユキ・ナラテボー

 

プラユキ・ナラテボー
1962年、埼玉県生まれ。上智大学哲学科卒業。大学在学中よりボランティアやNGO活動に深く関わる。
タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。
近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、ワークショップから、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。

プラユキ・ナラテボー師 よき縁ネット https://blog.goo.ne.jp/yokienn
〈書籍情報〉
「気づきの瞑想」を生きる タイで出家した日本人僧の物語
著者:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,800円+税
発行日:2009年8月
〈書籍情報〉
「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方
著者:カンポン・トーンブンヌム
監訳:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,400円+税
発行日:2007年11月
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