インタビュー

Thai Life: タイで見つけた気づきの生活(2)

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翻訳家・浦崎雅代さんによるタイ仏教についての連載です。(全4回の2回目)

——前回のインタビューでは、スタディ・ツアーでタイを訪れたことが、人生の転機となったとのお話でした。その後、大学の先生に紹介されたスカトー寺の開発僧の方達との運命的な出会いを通して、研究者の道に進まれるのですね。

はい。1993年、大学2年の夏休みに鈴木規之先生が連れて行ってくださったのが「森の寺」のスカトー寺です。タイの東北部チャイヤプーム県というところにあって、バンコクから車でだいたい8、9時間くらいのところにあります。

この写真のお坊さまたちが、私が非常に尊敬している三大お坊さまです。真ん中の方が、カムキエン・スワンノー師、スカトー寺の先代の住職。そして、右側の方が、パイサーン・ウィサーロ師という方で、現住職。左側のこの方はご存知の方も多いかもしれませんが、プラユキ・ナラテボー師です。日本人で副住職をされています。

カムキエン師は4年前に亡くなられた開発僧(かいはつそう)です。開発僧というのはお坊さまとしての修行をされつつ、村の開発、特に貧困問題や環境問題の解決などにも従事されている方たちのことを指します。

タイの一般的なお坊さんは、社会的な活動からは離れる方が多いです。ただカムキエン師は修行をされながら、村の人達や在家の人達とともに物質的な開発も精神的な開発も大切にされていました。ですから、村の人達からの尊敬や信頼がすごく篤いです。

私は、開発僧の研究をしていました。彼らのようなお坊さまたちは、別に自らが「開発僧になります!」と宣言して、開発僧になるわけではありません。「開発僧」と表現しているのは回りの人達なのです。開発僧に関して日本で紹介されると、「何か資格があって、開発僧になるのですか?」と聞かれますけど、タイの場合は、別に資格があってやるというのではないですね。

自分自身の修行が高まるにつれて、自分だけではやはり生きられない。そして自分がしっかり修行するためには他の人の生活も心もしっかり支えて行かなきゃいけないという自覚が後から芽生えて、その結果、開発事業に関わっていくというお坊さまの姿を実際に感じました。

特にこのカムキエン師は、本当は修行に専念したいのだけれども、村の状況を見た時に、ほうってはおけない、という感じでらっしゃいました。ただ実践は、社会的なものと自らの修行を別ものとしてはとらえてはおられないようでした。どちらも苦しみを減らしていく実践としては同じですからね。

私がなぜ開発僧に興味を持ったのかというと、一つは研究のためというのもありますが、日本人僧であるプラユキ・ナラテボーさんの影響です。タイの仏教文化や修行について具体的にわかりやすく私に教えて下さいました。

そして、開発僧の活動と一般の在家の人達がどういうふうに関わって行ったのかを研究・調査しようと思い、村の人たちの家に泊めていただくこともありましたね 。ですからスカトー寺には、何十回となく通いました。

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