『ロボット工学と仏教』には、3年以上にわたって両氏が仏教について交わしたやりとりがおさめられている
――さらに、上出先生に質問です。仏教に出逢って、ご自身のなかで一番変わったことは何ですか?
上出 ものの見方だと思います。
私はドクターまでは心理学だけをやっていたので、まさしく二元論の世界で論理性を追究することだけをやっていたんですが、森先生に教えていただいてから理詰めの二元論の世界以外の世界の可能性というものに気がつくことになりました。
それまでは、二元論的なフィルターを通してしか外の世界を見ることができず、学術的な論理性というものが世界を説明する全ての原理であったんですけれども、そうではない世界のあり方や可能性を引き受ける態度が出てきたわけです。そのことで、それまでは自分の考えを、他人にも押し付けていたんだなということに気づくことができたのです。
そうすると人との付き合い方も変わりますし、研究に対する視野も広げることができました。
関連して、二元論の世界と、論理ではない世界の、両方のあり方に気づけることで、視点の持ち方を自在に変えられるようになるという自由さが出てきたと思います。ただそれはすごく難しいことであり、森先生ほど自由ではなくて、私は気がつくと二元論の世界に引きずり込まれていることもたくさんあります。
何か困ったり悩みがあった時にいつも森先生にお尋ねして――そうすると、短いお言葉でスパッと教えていただいて、「知ってたはずなのに…」と思うのですが、「知ってたはず」だけではダメで、自分の実生活の中でそういう視点の切り替えを自主的にやっていくということをやらないと、その切り替えができないんだなっていうことを実感しているところです。
――森先生から学んで、一番印象に残っていることは何ですか?
上出 一番は決められないんですけれども、これまでお話に出てきた「二元性一原論」でしょうか。物事がうまくいっている時は、二つものものが――相反するものが補い合って、「一つ」になって助け合っているというしくみが世の中の根本的な構造である、ということです。また、極端の二つのうち、いずれかだけを取るということはしない、という「中道」の教えも、とても重要だと思っています。これも、相反する極端にこだわらず、上の次元での「一つ」を見つけることが重要である、という二元性一原論だと思います。ただ、やっぱり私がそういった教えをいつの間にか頭で理解してしまっている時には、「一つ」にこだわりすぎるという意味で、結局は二元論の世界にとらわれていて、実生活で失敗することがあります。そんな時に教えていただいたのが『信心銘』(一巻。北周・隋代の僧燦作。信心不二の禅の極致を説く韻文)の次の言葉なんです。
二は一に由って有り
一も亦守ること莫かれ
一心生ぜ不れば
万法咎無し
意訳:
二という対立も一を設定する自分によって有るのだから、
その一にもまた固守してはいけない。
分別し、選り好みするという一心が生じなければ、
出会うところの万法には何も咎(悪い事)はない。
非常に感銘を受けました。
――ありがとうございました
森 政弘(もり まさひろ)
上出寛子(かみで ひろこ)
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