インタビュー

科学者が語る、仏教の魅力――『ロボット工学と仏教』 著者インタビュー(2)

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佼成出版社から『ロボット工学と仏教――AI時代の科学の限界と可能性』(森政弘/上出寛子・共著)が発刊されました。共にロボットにかわわる研究者であり、仏教を学ぶ師匠と弟子の関係でもあるお二人に、それぞれの仏教観や、専門の研究領域と仏教とのかかわりについて伺いました。

ロボット博士として知られる森政弘氏と、気鋭の心理学者である上出寛子氏

――昨今、坐禅とマインドフルネスがブームとも言えますが、上出先生は心理学のお立場からどのようにお感じですか?

 上出 アメリカの心理学会に行くと、最近このマインドフルネスの研究発表が多く出てくるようになりました。自我が消えるとか、無我の話を英語でされていたりと、世界的に関心がもたれてきているのだなと、嬉しくもあり驚きでもあります。

マインドフルネス瞑想法に関しては、認知科学的な研究が世界的にとても多くて、脳波を使った実験で、何十年も日常的に瞑想をしている人は、そうではない人と比べると、脳内の注意力を担っている部分が特徴的に違う、というのもすでにわかっています。

マインドフル瞑想の方法をみると、いわゆる「調身」「調息」「調心」みたいなところは坐禅と共通のものとしてあるんだろうなということはもちろん窺えますが、臨済宗のお寺でされているような本当に本格的なものではなく、もうちょっと一般者向けの、いわゆるヨガクラスに通うみたいなイメージで皆さんメディテーションされている。その点ではやはりお坊さんのされる坐禅とはちょっと違うかもしれませんね。

それから「涅槃寂静ねはんじゃくじょう」の話に関連するんですけども、心理学では、今はマインドフルネスをすることによって主観的な幸福感を上げたり、人生満足度を上げるようなポジティブな面での主観的な感情状態を獲得しようとする研究が多いんですが、仏教の「涅槃寂静」といったものは、そういったポジティブなものさえもない。すなわち、悩みや不安はもちろんないんだけれども、喜びとか嬉しさといったものにさえも、心が波立たない状態だというふうに理解しています。

そういった意味では、今の現状の心理学よりも、仏教の方が一歩進んだ安心みたいなものを捉えていると考えていて、マインドフルネスの心理学の話もどんどん増えていくとは思うんですが、禅寺でされているような体系化された修行などと比べると、そこまではまだ入っていないかなという感想です。

 

 念仏、阿字観など、いろいろな三昧があるけれど、その中でやはりいちばん深いのは坐禅ですね。底抜けに深いところがあります。

 

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