インタビュー

ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(1)

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――それだけ我々は気づいていられないということですか

基本的に私たちは、観察モードは嫌ですよね。オートモードで、ぼんやりしていたい。ボーっとしていたい。貪瞋痴(欲・怒り・無知)のままにしていたい。観察モードの生き方は、貪瞋痴の反対ですから。惰性で生きていたい、なるべく寝ていたい自分を無理にでも切り替えて、つねに観察モードでいるというふうにすれば、日常生活のトラブルもかなり軽減されるんじゃないでしょうか。

たとえば、「瞬間瞬間、言葉で実況中継なんかできない。やってられない。そんな必要ないんじゃないか」と思ってしまうのは、ある意味、あたりまえの話なんです。私たちは覚ってないんだから、観察モードなんて嫌なんです。瞑想がんばってるという人にしたって、ホンネのところは瞑想してるふりだけして、ボケっとしていたいんです。たまさか真剣に実況中継しても、嫌で嫌で仕方がなくて、タイマーが鳴った瞬間に拷問から解放された気分になる場合もあります。それがケシカラン、という話じゃなくて、それがありのままの人間なのです。

お釈迦さまは、仏道を歩む人が最初の解脱(預流果)で無くなる煩悩(結)が三つあると仰っています。①「有身見【うしんけん】」……「わたし・我」が存在するという思い込み。②「戒禁取【かいごんじゅ】」……戒律や修行にたいする見当違いのこだわり。③「疑【ぎ】」……真理に対する疑い・疑心暗鬼。煩悩というと、欲とか怒りをイメージしがちなんですが、瞑想する人が実際に戦わなくてはいけないのは、「わたし」「わたしの」「わたしのもの」という固定観念とそのお仲間なんですね。

あとでも話しますが、私たちは何か見るたび、聞くたび、感じるたび、考えるたび、「わたし」「わたしの」「わたしのもの」という錯覚を作り出しているんです。仏教の「気づきの瞑想」というのは、この「わたし」が無いもののように観察モードで生きることですから、「わたし」の立場からしたら、嫌がらせみたいな行為なんですね。当然、「わたし」を大切にしたい人情からすれば認めたくないですし(有身見)、なるべく見当違いのことをしてやりたくなりますし(戒禁取)、こんなんおかしいだろという疑心暗鬼にもなります(疑)。ですから、「気づきなんかやってられるか」というホンネをまず認める素直さがないと、修行はキツイんじゃないかなと思います。

――それは、瞑想を実践しようとする人が突きあたる壁のようなものですか、そうだとしたら、その乗り越え方を教えてください。

人それぞれでしょうけど、預流果の解脱に達しない限り、有身見・戒禁取・疑はつきまとうわけで、あまり気にしないで淡々と続けることでは? いつでも「観察モード」でいる、という実践のエッセンスをつかんでおくこと。それから、修行とは自分の欠点に気づく営みなんですから、「うまく行かない」と感じるのがあたりまえなんです。瞑想するたびに自分のダメさが見えてくるということは、素直で正直である証拠なので、良い傾向として喜んだほうがいいんじゃないでしょうか?

ヴィパッサナーの芯をつかまないで、枝葉末節のところにぶら下がってしまうと、疑心暗鬼に捉われてぐらぐらしてしまう。そうではなくて、基本的に瞑想というのは観察モードなんだ、と太い柱を立ててみる。細かく観察するためには、ちゃんと坐る、歩く瞑想を集中するということも当然、必要です。しかし日常生活の中でも、観察モードを忘れなければ、それは瞑想して生きているのと同じなんだと。このように芯をつかんでいれば、スランプということも起きないと思います。だいたい、うまく行かないことをスランプと解釈すること自体、「完璧な自分」がどこかにいるはずという邪見ですからね。

よく「人としゃべる時に、実況中継できないじゃないですか」とか聞かれるんですけど、それはちょっと気づきの瞑想を形式的にとらえ過ぎです。そういう時は、相手の話によく注意(サティ)して、自分が話す時もきちんと注意(サティ)することが、すなわち気づきです。そうやって、ちゃんと芯をつかむこと、ということで解決するのではないかと思います。(次回に続く)

佐藤哲朗(さとう・てつろう)

佐藤哲朗(さとう てつろう)
1972年、東京都生まれ。東洋大二部文学部印度哲学科卒業。ライター・雑誌編集者などを経て2003年から日本テーラワーダ仏教協会事務局長を経て現・編集局長。インターネットを通じた伝道活動、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作編集などを担当。単著は『大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史』『日本「再仏教化」宣言!』サンガ。共著に『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会などがある。
原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話
著者:アルボムッレ・スマナサーラ
出版社:佼成出版社
定価:本体1,100円+税
発行日:2003年10月
原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一悟
著者:アルボムッレ・スマナサーラ
出版社:佼成出版社
定価:本体1,100円+税
発行日:2005年11月
原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章
著者:アルボムッレ・スマナサーラ
出版社:佼成出版社
定価:本体1,400円+税
発行日:2009年6月
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