インタビュー

ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(3)後編

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日本テーラワーダ仏教協会(渋谷区 宗教法人)の編集局長として、仏教や瞑想に関する情報発信を長年続けてきた佐藤哲朗さんに、ヴィパッサナー瞑想法のあらましと、実践にあたって理解すべきポイント、また初心者が陥りやすい誤解などについて伺いました。4回にわたって連載します。

日本テーラワーダ仏教協会:アルボムッレ・スマナサーラ長老の指導のもと、お釈迦さまの教え(初期仏教)を社会に紹介し、人々が法を学び修行できる環境を整え、生きとし生けるものが幸福に達するためのお手伝いをする目的で活動している。

日本テーラワーダ仏教協会編集局長・佐藤哲朗氏(幡ヶ谷・ゴータミー精舎にて)

Q2 ところで、悩み・苦しみの原因とはいったい何でしょうか。

ここまでの説明から、「わたし」「わたしの」「わたしのもの」という自我の錯覚こそが、悩み・苦しみの原因だと言うことができます。以上、終わり……なんですが、せっかくですので、お釈迦さまのもう一つの説明も紹介しましょう。われわれのこころにある渇愛(渇き)が悩み・苦しみの原因である、という話です。

お釈迦さまが初めて体系的に教えを発表した「初転法輪」では、苦集滅道という四つの真理が語られました。①苦聖諦は「悩み・苦しみ」とは何かという真理。②苦集聖諦は「悩み・苦しみの原因」とは何かという真理。③苦滅聖諦は「悩み・苦しみが無くなった境地」とは何かという真理。④苦滅道聖諦は「悩み・苦しみを無くすための方法」とは何かという真理。

①について、お釈迦さまは生・老・病・死などを並べたうえで、「要するに五取蘊が苦である」と仰っています。取(ウパーダーナ)とは、仏教用語で執着のことです。五蘊すなわち身体とこころに執着している状態が、悩み・苦しみなんです。

それで、苦を作り出している原因は何かっていうと、渇愛・渇望(パーリ語:タンハー、サンスクリット語:トゥリシュナー)だと言うのです。渇愛の意味は、そのまんま「渇き」なんですね。この渇きが、生命を輪廻させてしまう。喜びと欲望で絡み合って、世の中のものごとに喜怒哀楽を起こして執着させてしまう。渇愛は、われわれの心に生まれる超強烈な衝動です。

この渇きには三種類あります。①視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という感覚的刺激への渇き(欲愛)、②存在への渇き(有愛)、③虚無への渇き(無有愛)です。

 

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