インタビュー

ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(4)最終回

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日本テーラワーダ仏教協会(渋谷区 宗教法人)の編集局長として、仏教や瞑想に関する情報発信を長年続けてきた佐藤哲朗さんに、ヴィパッサナー瞑想法のあらましと、実践にあたって理解すべきポイント、また初心者が陥りやすい誤解などについて伺いました。4回にわたって連載します。

日本テーラワーダ仏教協会:アルボムッレ・スマナサーラ長老の指導のもと、お釈迦さまの教え(初期仏教)を社会に紹介し、人々が法を学び修行できる環境を整え、生きとし生けるものが幸福に達するためのお手伝いをする目的で活動している。

日本テーラワーダ仏教協会編集局長・佐藤哲朗氏(幡ヶ谷・ゴータミー精舎にて)

Q1自分に合った瞑想法と出会うためにはどうすればいいのでしょうか。いろいろな瞑想会に出席してみることは構わないでしょうか。

仏教は基本的に師を変えることに関して、一切禁止してはいないので、自分に合う指導者なり道場を選べばいいのではないかと思います。ただ自分の好みは、結局、自分の煩悩ですから、自分の好みでやって上手くいかないこともありますね。その辺は微妙です。

最悪なのは、あちこちのやり方を嘗めてまわって、一つもものにしないまま事情通ぶっちゃうことですね。まともな指導者は、そういう人を相手にしないと思います。道を求めるというよりは「消費者」みたいなマインドで道場ミシュランを始めちゃうと、一生を台無しにしかねないので、気をつけたほうがいいと思います。

そのような点に注意すれば、いろいろ調べて納得がいくまで、あちこち回るというのはあながち悪いことではありません。疑り深いことは、それが理性的な疑いならば悪い資質ではないので、納得が行くまで調べたうえで、これと決めた指導者のところで修行するのがいいでしょう。

もうひとつ助言するなら、仏教の瞑想に取り組む際に、ある程度、仏教の教えに関する勉強を一緒にやって欲しいということです。もちろん難しい経典を勉強して、パーリ語の勉強もして、阿毘達磨(アビダルマ)の勉強もして、頭を経典の知識でいっぱいにして……などという必要はありません。しかし基本的なことは押さえておきたいですね。

無執着、執着をなくす、という仏教の基本的な芯の部分を、ちゃんと掴んでおいた方がいい。ヴィパッサナー瞑想法に関する本は、今、たくさん出版されています。そういうものに加えて、スマナサーラ長老の著作も含めて、仏教の基本的な教えを解説した本にも親しんで、ある程度は勉強した方がいいのではないかと思います。

 

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