インタビュー

ティク・ナット・ハン「マインドフルネス」が上陸した日 その2

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「ゆとり家」の庭より、向かいの尾根を望む。夜にはシカの鳴き声がこだまする

――タイの僧侶は、サティ(sati)を表す英語にアウェアネス(awareness)を使いますが、マインドフルネスとアウェアネスの違いはなんですか。

それも当時からよく質問を受けていました。英語でマインドフルネスとアウェアネスの両方があるけど、何が違うの? と。
エックハルト・トール(Eckhart Tolle、精神世界の著述家。“The Power of Now”1997年刊)などはアラートネス(alertness)という言葉を使います。アラートネスというのは敏感に気づきを向けている、クリアに目覚めているということです。

あとはアテンティブネス(attentiveness)、注意深く意識を向けている、という言葉、これも使われます。「サティ」は、古い時代にはリテンション(retention)とも訳され、これは保持する、保つという意味です。

ですから、どこを強調するかによって違ってくるのですが、マインドフルネスとアウェアネスの違いは大雑把に言うと、ジョン・カバットジン博士* の定義した「意図的に対象に意識を向ける」その向け方がマインドフルネスであり、そこからもたらされる明晰で目覚めた状態がアウェアネスだ、ということになります。

*ジョン・カバットジン
マサチューセッツ大学医学大学院教授・同大マインドフルネスセンターの創設所長。禅・ヨーガを実践し、マサチューセッツ大学にストレス低減センター(マインドフルネスセンター)を設立。マインドフルネス普及の先駆けとなった。

ただ、ティク・ナット・ハンの説明は、マインドフルネスもアウェアネスも含んでいるのです。だから、人によって定義の仕方、説明の仕方は違うということが言えるでしょう。

申し上げたように、ティク・ナット・ハンのマインドフルネスはアウェアネスを含むくらい広く、それゆえ定義が難しいのですが、ジョン・カバットジンなどは、マインドフルネスをより限定的に使っているように感じます。「意図的に対象に意識を向け」て――どちらかというと「サティ(sati)」の中でも「サマタ(samatha)=意図的な集中」を強調するような傾向にマインドフルネスを使っているようです。

意識を向けていくのにも、「オープンモニタリング」と言いますが、もっと広く――いわゆるヴィパッサナーですが――気づきをよく保って、何が起こっているかを全般的に〈地〉の部分をよく見ていくという見方と、一点<図>に集中していくような見方(サマタ)があるわけです。ティク・ナット・ハンのマインドフルネスは、サマタとヴィパッサナーの両方を含んでいるのです。ですから非常に広い範囲のことを言っているわけです。

ティク・ナット・ハンがマインドフルネスと言う場合、「どういう意味で使っているのか」をよく吟味しなければなりません。その辺で曖昧なところがあるのです。翻訳者としても注意を払わなければならないところですが、ティク・ナット・ハンはいろいろなふうにマインドフルネスを使っている、というのが事実です。「マインドフルネスが全てだ」というような発言もあり、そこら辺がいい意味でアバウトなのですが、とにかくティク・ナット・ハンは“マインドフルネスの人”なのです。

繰り返しますが「マインドフルネス」は人によって使い方がかなり違います。しかし一般的にざっくり言って、意図的に意識を向ける、意識の動き、積極的な意識の動きをマインドフルネスは差している、と言っていいでしょう。そして「アウェアネス」は、それによって生じた状態、というふうに捉えていいのではないか、と今は思っています。

――マインドフルネスのルーツの一側面を、「気づき」という訳語を通して遡ることができました。これもまた歴史的な証言ということもできるでしょう。貴重なお話でした。

 

「ゆとり家」で開かれる瞑想会で使われる「歩く瞑想」用コースのひとつ

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