——一方で「人間は考える葦である」という有名な言葉が、フランスの思想家パスカルの『パンセ』の中にありますね。思考する存在としての偉大さを謳った言葉でもありますが。
思考は頭脳を発達させた人間の特質でもあります。だからこそ人間は文明をこんなに大きく築くことが出来た、それ自体はたいへんすぐれた特質でしょう。が、同じ思考が、考え過ぎることで逆に新たな苦しみを生み出す原因にもなります。
「考え過ぎて苦しくなるのは、どうすればいい?」ということですが、考え方を変えるのではさらに考えを積み重ねてしまう、増やしてしまうことになります。〈私〉の苦しみを解決するのに、〈私〉がどうこうしようとすると、さらに苦しくなっていく。 苦しい考えを何とかしようとして考え方を変えようとしても、考えを変えようとする考えが加わって逆に考えが増えてしまうという悪循環にはまってしまいます。ここではまず、考え自体を減らしたいわけです。そこで、「では、どうすれば減らせるのだろう?」という問いが生まれます。
その答えは、「『今、ここ』で起こっている事実に、思考を挟まずに意識を戻す」ということです。それがマインドフルネスです。事実と言っても非常に多くの出来事がこの瞬間に起こっています。なのでまずとっかかりとして、自分の身体に注目してみます。たとえば、私たちが、今、「グラウンディング(grounding)」していて、お尻が下(地)に着いて、脚がここにある、と意識します。
——グラウンディングですか。それはいったいどういうものでしょう。
「地にしっかり足が着いている状態」を、からだ全体で気づいていることです。 悩みはどこで感じるかというと、頭を中心とした上半身ですね。頭とともに、緊張が主に肩や胸などを中心に起こります。われわれは五感による刺激をおおよそ上半身で受け取り、上半身で生きて頭でっかちになりがちです。その感覚を下におろす、意識するだけでも違ってきます——胡坐をかいて今、私は坐っていますが、足とお尻が地に着いている、ということを意識するだけでも、その場で変化が感じられるでしょう。
「ゆとり家」で開催された「歩く瞑想」の様子
「歩く瞑想」などは、まさにこのグラウンディングの連続です。足の裏を感じながら歩くということは、大地とつながり、つねにグラウンディングしながら歩くということです。そのとき東洋の医学でいう〈気〉も下にさがる。普段、上方、頭に昇って(上気して)いる気が下にさがる、という現象が起こります。明らかに頭に上っていた血流が下降、変化するということが、サーモグラフィーの測定などにより、体表の熱分布が変化することが現在ではわかっています。
たとえば歩いているときに、考え事をして気が上に昇った状態と、足の裏を意識して身体感覚を下に保ちながら歩くのとではどう違うでしょうか? その違いをぜひ体験してみてください、と提案します。そして実際に試していただきます。また、講演が終わってみなさん会場を出るときにも、「じゃあ、何を食べに行こうか」と威勢よく歩き始めるのではなくて、「少しでもいいから、この歩き方をしてみてください」と言って「歩く瞑想」のデモンストレーションをしてみます。
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