インタビュー

藤田一照 プラユキ・ナラテボー対談:「大乗と小乗を乗り越え結び合う道」 その5【最終回】

藤田一照・プラユキ・ナラテボー
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——厳しく言えばそういうことになるかもしれません。そういう見方もできる日本の仏教ですが、プラユキさんの目には、日本の仏教はどのように映っているでしょうか。

プラユキ そうですね。私は1980年代にタイで出家したわけですが、正直その頃は私の周りには魅力的に思えるお坊さんはいませんでした。大学もキリスト教系でしたので、むしろ神父さんのなかに尊敬できる人がたくさん見つかりました。あ、そうそう唯一、松原泰道さんや哲明さんの本は好きで、愛読していましたね。

しかしながら、最近私がお会いしているお坊さんと言えば、一照さんをはじめとして、円覚寺管長の横田南嶺老師、「日本の開発僧」と目している浄土真宗の松本紹圭さんなど、非常に魅力的で尊敬できる人ばかりです。また、松本さんの紹介でいくつかのお寺で講演などもさせてもらいましたが、いずれのお寺のお坊さんも宗派へのこだわりがなく、また、皆さん意識が高く、様々な工夫を凝らした社会活動もされている素晴らしい方ばかりでした。そういうわけで私自身、今は日本の仏教に対してとても明るい希望を持っていますし、日本のお坊さんにも期待しています。

人々が仏教に求めるものも、お葬式などしっかり儀式をしてもらいたい、先祖のお墓を守ってもらいたい、心の病からの回復の一助にしたい、仏教の教えを日常生活に活用したい、ガチで悟りを目指したいなど様々ですから、そうした多様なニーズに宗派の垣根を越えて協力し合って応えていく、いわば「チーム仏教」という感じが私的には理想ですね。

ところで、私のところに悩み相談に来られた方たちから、「日本の仏教には失望した」といった言葉がいまだ出てくることも事実です。人のためになってくれていないという思いや、またお坊さんによる不祥事なども見聞しているだけに、批判的な意見を述べる人も少なくありません。

こうした評判を回復していくには、やはり周囲から非難を受けてしまうような言動を慎み、人様の抜苦与楽に積極的に貢献していく、そうした努力を怠らず継続していくことが肝要かと思います。

ブッダが戒律を定めたのも、人目につく言動をまず整えて、非難を受けないように、という趣旨がありました。仏教の本質的な教えを広めるためには、人々から信頼されなければなりません。また、信者さんのニーズを把握し、ちゃんと期待に添えるように努めることも大事でしょうね。

日本のお寺には、それぞれの御本仏が祀られ、手入れの行き届いた美しい庭、大広間や客間があり、そこかしこに美しい調度品が飾られていたりして、人が心を見つめ、整えていくにあたって本当に素晴らしい環境条件を備えていると思います。こうしたお寺の非日常的な「場」の力をもっと活かしていく必要もあるのではないでしょうか。

これについては、在家者・小出遙子さんが、「いのちについて語り合おう」という趣旨で、全国のお寺で不定期に開催している「テンプル・フェス―いのちの対話―」の活動https://higan.net/now/2018/11/temple_fes/。また最近、松本紹圭さんが始めた「テンプル・モーニング」は、有志の人たちがお寺に集って読経や朝掃除を一緒にすることをきっかけに、お寺を「良き習慣の道場」として蘇らせようという試みですが、宗派を問わずこれらに賛同するお寺の輪が全国に広まりつつありますね。

このように、お寺という「場」が開放され、お葬式やお墓の管理だけでなく、現代を生きる日本人のニーズに応じた活動がいろいろと始まってきている日本の仏教に、私はとても明るい希望を感じています。

——プラユキさんに、もう少し伺ってまいります。タイのテーラワーダでは「チャルーン・サティ(手動瞑想)」を採用していますが、そもそもこれはどういう経緯で創られることになったのでしょう。坐わる瞑想などよりも効果的とお考えでしょうか。

プラユキ 実際のところ、タイのテーラワーダが「チャルーン・サティ(手動瞑想、歩行瞑想)」を採用しているわけではありません。チャルーン・サティを教えているお寺は、私のいるスカトー寺をはじめとして200カ寺くらいで、タイ全体のお寺の数からすれば、少数です。なにはともあれ、どんな瞑想法であっても、自分に合った方法を正しくコツコツと実践していけば、苦しみは次第に軽減していきます。

手動瞑想の特徴は、集中よりも覚醒を重視しており、その際、今ここのリアルな手を用いますので、思考やイメージ、あるいは過去や未来へのとらわれを手放しやすいです。また、開眼でやっていきますので、心を弱めている人でも安全に実践が可能で、日常生活にも落とし込みやすく、現実の問題解決にもすぐに応用していけるという利点があります。

最近では、カルト教団に20年間在籍していた女性のケースがありました。彼女は信仰心の薄い娘に教団の教えを信仰させたくて、虐待まがいのことまでしていました。私の面談に来られたのでひととおり話を聞かせてもらった後、手動瞑想を教えて家でも続けてもらった結果、正気に戻って、カルト教団からも完全に抜け出すことができました。娘さんも喜んで、母子の和解をみることができました。

また、10年以上もの間、統合失調症やうつ病を発症して憂鬱な気分で毎日を過ごしていた男性がいました。彼は抗うつ薬を飲み続け、ずっと暗い生活を送っていましたが、彼のケースでは面談をきっかけに約一か月間、休まずに毎日手動瞑想を続けたところ、心がどんどん楽になり、常飲していた薬もやめられました。明るく朗らかになった彼の姿を見たお母さんも、非常にびっくりされていました。

このように手動瞑想は、とりわけ心を病んだ人たちに著効が出やすい、という特徴があります。また私としても、そうした深い苦しみに陥っていた人が元気になっていく姿を見られるのが何よりもうれしく、僧侶冥利に尽きるといった感じです。

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