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寿地蔵ードヤの人びとが願い、守ったお地蔵さまー(その1)

取材/文=千羽ひとみ(フリーランスライター)
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こんなに愛されたお地蔵さんがあるだろうか――。
横浜市中区にある寿町。日雇い労働者が暮らし、〝ドヤ街〟と呼ばれるこの町に、
住民からとても大切にされたお地蔵さんがあった。
名前は、寿地蔵(ことぶきじぞう)。
やさしいお顔をしたそのお地蔵さんは、
ドヤの住人と、あるお寺との交流から生まれたという。
徳恩寺住職の鹿野融完師にお話を聞いた。

「子どものころは、こわくて、くさくて、いやだったんです」
50年にわたる寿町との関わりを語る鹿野融完(かのう ゆうかん)住職

「坊さんは金のある人しか供養してくれない」

神奈川県の横浜市青葉区恩田町。
東京にも近く、住宅地として高い人気を誇る青葉区も、恩田のこの地まで足を運ぶとすっかり里山の風情となる。そんな緑溢れる環境にある真言宗のお寺が、摩尼山延壽院徳恩寺。堂々とした佇まいを見せる山門が、建武2年(1355年)創建という歴史を静かに物語る。

この古刹の小高い丘にある霊園の中ほどに、穏やかな表情のお地蔵さんが建つ。まなざしの先にあるのは、横浜市中区の寿町。東京の山谷、大阪の西成と並ぶ日本三大ドヤ街の一つだ。
そしてこのお地蔵さん、その寿町から来られたという──。

徳恩寺山門

徳恩寺の一角にたたずむ寿地蔵。2016年、寿町総合労働福祉会館の建て替えに伴い、徳恩寺に移設された。
寿町にもどる日を待っている

昭和50年(1970年)の事だった。寿町に、この町の自治会役員を先導にして歩く托鉢僧の姿があった。壮齢の僧の後ろには、クリクリ頭もかわいらしい袈裟姿の男の子が続く。男の子の手には、段ボール製の浄財箱が。首と浄財箱を結ぶ紐は下着用のもの。いわゆる〝パンツのゴム〟だ。

壮齢の僧は、徳恩寺の先代住職、故・鹿野融照師。
男の子は息子で、当時5歳の現住職、鹿野融完師。
寿町に供養塔を建てようと、托鉢中の姿であった。

今ではあの頃の師父を上回る年齢となった鹿野融完師(以下、融完師)が語り始める。
「そもそもは、私の兄弟子の内田融匡(うちだ・ゆうこう)が得度出家、先代住職だった鹿野融照の弟子となったのが始まりでした」
出家以前、内田師は横浜市南区でクリーニング店を経営しており『寿町身障友の会』とのつき合いがあった。古着を通して身障者をサポートしようという団体である。

ある日のこと、融照先代住職はこの弟子の口から思わぬことを聞かされる。
「師匠、聞いてくれ。ドヤの住民はこう言ってるんだ。『坊さんは金のある人しか供養してくれない』って
それを聞いた先代は、(これはなんとかせんと)と思った。
寿町との関係は、そうして始まったものだったのだ。

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