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「日本の叡智とマインドフルネス」熊野宏昭×鎌田東二 Zen 2.0レポート(5)

熊野宏昭先生・鎌田東二先生
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9月21日と22日の両日、禅とマインドフルネスについての日本初の大規模な国際フォーラム〝Zen 2.0〟 第3回が、日本の「禅」発祥の地、鎌倉五山第一の建長寺において開催されました。その内容を紹介していきます。

鎌田東二先生を、「日本の自然が人の形をとって現れたような方、八百万の神に連なる方」と親しみを込めて評する熊野宏昭先生。鎌田先生の「法螺貝」の演奏を合図に、お二人によるマインドフルネスの講座、対話が始まりました。まず初めに、熊野先生のリードによる「マインドフルネス瞑想」の実践と、問題提議がなされました。

熊野宏昭(くまの・ひろあき):早稲田大学 人間科学学術院教授
マインドフルネスやアクセプタンスを活用する認知・行動療法によって、短期間で大きな効果を上げることを目指した研究を行っている。

鎌田東二(かまた・とうじ):哲学者、宗教学者、上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授。著書に『宗教と霊性』ほか多数。

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文責:ダーナネット編集

熊野先生による「マインドフルネス瞑想」指導

この瞑想セッションでは、瞑想を二つに分けて実践します。二つとは「注意の集中」と「注意の分割」です。前者は、いわゆる仏教で言う「禅定(ディヤーナ)」。後者は「マインドフル瞑想」です。その違いは何なのか。熊野先生によって、瞑想修行者にとって注目すべき知見が披露されることになりました。

――熊野先生による、瞑想実践の手引きの始まりです。

背筋を伸ばし、すこし前かがみになります。下腹にすこし力が入るような姿勢です。目は開けたままでも閉じても構いません。身体がまっすぐ伸び、それ以外は力が抜けている状態をつくりましょう。

つぎに、身体、頭の中に今、どんな感覚があるか気づいてください。それとなく感じて下さい。

呼吸に伴う身体の感覚に注意を向けます。しかし呼吸はコントロールの対象ではありません。呼吸は自然の一部です。呼吸も自然の一部として、身体のしたいように呼吸させてあげて、そこに気づきが追いかけてゆくような感じで身体の感覚に注意を向けます。

息が入ると、胸や身体が膨らんでいきます。また出ていくときには、縮んでいきます。それに気づきが追いかけてゆくような感じで行ってください。「縮み」「膨らみ」、あるいは自然で不規則でもいいわけですから、「膨らみ」「膨らみ」「縮み」などと感じてみてください。感じやすいところを探しそこに集中し、無念無想になろうとしてみましょう。

――しばらく、瞑想の時間が流れました。

いかがですか?「無念夢想になろうとしてできましたか?」

無念無想になろうとすると、なかなかそうはいかないことが起こってきます。雑念が湧いたり、体のこわばりや凝り、かゆみなどを感じたかも知れません。

しかし雑念が湧いたら、「雑念」と自分に声を掛け、また「戻ります」と声を掛け、「膨らみ」「縮み」に戻っていく。――雑念、雑念、戻ります。そして、膨らみ、縮み、と戻ってゆくのです。

鎌田東二先生(左)と熊野宏昭先生

注意の集中から「開き」の世界へ

さて、今、なるべく注意を集めていきましたが、それを今度は開いてゆきます。いろんなものを感じ取ってゆきます。まずはからだ全体で呼吸している感覚を感じてゆきます。息が入ってくると、胸やお腹だけではなく、身体全体が微妙に変化します。身体全体、あるいは手足の先で何かを感じたり、姿勢全体の揺らぎといったものを感じていきましょう。身体全体に息が流れ込んできて、それがまた身体から出てゆく。さらに周りの音などにも注意を拡げてゆく。耳に入ってくるままに、すべての音に注意を向けてゆきます。

雑念が湧いてきたときにも、先程のように、そこから離れるというのではなく、雑念も漂わせておいて、注意の中に一部浮かんでいるような感じです。周りの空気の動きにまで、自分の感じられる注意のフォーカスを広げてゆきます。自分の気づきのフィールドがどこまで拡がっていくか感じていきます。

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