9月21日と22日の両日、禅とマインドフルネスについての日本初の大規模な国際フォーラム〝Zen 2.0〟 第3回が、日本の「禅」発祥の地、鎌倉五山第一の建長寺において開催されました。その内容を紹介していきます。
鎌田東二先生を、「日本の自然が人の形をとって現れたような方、八百万の神に連なる方」と親しみを込めて評する熊野宏昭先生。鎌田先生の「法螺貝」の演奏を合図に、お二人によるマインドフルネスの講座、対話が始まりました。前回の熊野先生の問題提起に対し、今回は、鎌田先生によるその応答です。
熊野宏昭(くまの・ひろあき):早稲田大学 人間科学学術院教授
マインドフルネスやアクセプタンスを活用する認知・行動療法によって、短期間で大きな効果を上げることを目指した研究を行っている。
鎌田東二(かまた・とうじ):哲学者、宗教学者、上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授。著書に『宗教と霊性』ほか多数。
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文責:ダーナネット編集
近年「神話詩三部作」を上梓した、詩人でもある鎌田先生
鎌田東二先生から熊野先生へ
「完全受動態」。これは、鎌田先生のご著書にある言葉だそうですが、この、努力をなくして〈完全受動〉になれるところには、どうすれば辿り着けるのか――。
問題は、鎌田先生の言う〈身心変容技法〉(*身体と心の状態を望ましいと考えられる理想的な状態に切り替え変容・転換させる知と技法)。そして、見ている自分が無い状態にしなければならない。これが大きな問題となってくる。熊野先生はそこに着目され、問題提議がなされました。お二人共通の重要なテーマです。
――さて、熊野先生の問題提議を受けて、鎌田東二先生のお話が始まります。
鎌田:熊野先生、ありがとうございます。では、お話させていただきます。
利口(りこう)――くちきき
「完全受動態」。おっしゃるように、これ自体が人間性の探求、自然の探求の極意になってくると思います。この観点を一つのきっかけにお話を始めます。
それは「利口」ということです。一般的に現代では、利口とは、知的なレヴェルでの評価になります。しかし、松尾芭蕉の言った「利口論」とは、これは藤原定家からの流れを汲むものですが、現代の解釈とは違い、これは非常に大きな考えるヒントとなるものです。
「利口」。これを私は「くちきき」と読んでいます。要するに「口利き」が出来るかどうか、これが問題になってきます。「利口」は、自分が主体ではない。「利口」とは、誰かの言っていることを利(き)くことができるか――「利(り)」という字は、利くという意味です。聴覚のみならず、味覚。味を利く。酒の味を利く。という言葉もあります。
いろんなものが発しているメッセージを利くということなのです。そして「口」はいろいろなもの(モノ)。いろんなものが言葉を発している。これは、「古事記」の中でも、「草木が言問う」(草木が言葉を発している)という言い方がされています。そういう言葉を聴き取れないと利口にはなれないということなのです。
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