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「苦しみを抱えた人とともにいること」藤野正寛さん Zen 2.0レポート(3)

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9月21日と22日の両日、禅とマインドフルネスについての日本初の大規模な国際フォーラム〝Zen 2.0〟 第3回が、日本の「禅」発祥の地、鎌倉五山第一の建長寺において開催されました。その内容を紹介していきます。

京都大学で瞑想の脳研究に取り組む藤野正寛さん。身近な例から「苦との付き合い方」を語った

「苦しみを抱えた人とともにいること」―その1―

藤野正寛(ふじの まさひろ):京都大学大学院教育学研究科助教。神戸大学経営学部卒業後に、医療機器メーカーに7年間勤務し、経営企画管理業務に従事。海外駐在員時代に、10日間のヴィパッサナー瞑想リトリートに参加し、瞑想が身心を健康にすることを体験的に理解し、「働いている場合ではない」と退社。京都大学教育学部に編入学し、学士・修士・博士を経て、現在に至る。現在は、瞑想の実践者かつ研究者として、瞑想実践を通じてでてきた問いをもとに、認知心理学的手法やMRIなどの実験装置を用いて、瞑想の脳研究を進めている。特に、智慧を育むマインドフルネス瞑想と慈悲を育むコンパッション瞑想のメカニズムの解明に取り組むとともに、人々の身心の健康のために、それらを社会に導入する活動に取り組んでいる。
HP: http://masahirofujino.jp

*  *  *

文責:ダーナネット編集

肩代わりできない「苦」

藤野さんは、幼稚園の同窓会に出席した際、幼馴染であり小学4年生の娘を持つ母親である友人から、相談を受けたエピソードを語り始めました。その娘さんは、人と自分を比較して自信を失っているとのことでした。

生来、楽観的なお母さんであるその友人は、最初は、少しでも娘に自信をつけさせようと話をしたそうです。が、一向に変わらぬ娘さんの姿を見て、最近では、「こうしてみたら」「だったら、こういう方法をとってみたら」というような提案をたびたびその娘にするのですが、それでもまったく聞き入れてもらえない。どうしたらよいか、というのが相談内容でした。

そこで藤野さんは、「仏教的に考えると、こういう風にいえるかもね」と、二つの言葉をもとに友人にアドバイスしたそうです。

一つ目は、
慈悲とは、人が「苦」を十分に体験することができるような見守りの環境を提供することだ
というフランク・オスタセスキ師(*1)の言葉です。

*1 Frank Ostaseski 終末期の援助を専門とする禅僧で、禅ホスピスプロジェクト・イン・サンフランシスコを立ち上げた。

もう一つは、ジョン・D.ダン(*2)の言葉です。
慈悲によって、他者の「苦」を直接取り除くことはできない。慈悲によって、他者が自分の「苦」を自分で取り除く手伝いをすることはできる。

*2 John D.Dunne 認知科学との比較を通し、仏教哲学と瞑想的実践に焦点を当てる。サンタフェでの Center for Healthy Mindsの教員、と同時に、マインドアンドライフインスティテュートのフェロー。

――なぜ、他者の「苦」を直接取り除くことはできないのか。そもそも「苦」とは何か?

悩むお母さんの相談の話からセッションが始まり、つながりの中で生じてくる他者の「苦」と寄り添う道への学びが始まりました。

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