ニュース・レポート

「日常社会で広がるマインドフルネス」プラユキ・ナラテボー × 山口 伊久子 Zen 2.0レポート(7)

プラユキ・ナラテボー師・山口伊久子さん
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

2019年9月21日と22日の両日、禅とマインドフルネスについての日本初の大規模な国際フォーラム〝Zen 2.0〟 第3回が、日本の「禅」発祥の地、鎌倉五山第一の建長寺において開催されました。その内容を紹介していきます。

プラユキ・ナラテボー:タイ・スカトー寺副住職。ブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医療従事者のためのリトリートを定期的に開催。
プラユキ・ナラテボー師 「よき縁ネット」: https://blog.goo.ne.jp/yokienn

山口 伊久子:Mindfulness & Yoga Network 主宰 セルフケアとしてマインドフルネスの考えを日常に活かす為の実践法、MPFL(Mindfulness Practice For Life)を提唱。
マインドフルネス & ヨガ ネットワーク: http://mindfulness-yoga.jp/

*  *  *

文責:ダーナネット編集

Zen 2.0二日目早朝の受付の様子

Zen 2.0 二日目。初日より30分早くスタート。清々しい朝の空気の中、「方丈(龍王殿)」横の本院二階「応真閣」には、多くの人が対談の始まりを待っていました。司会者の配慮により、参加者全員による30秒間の深呼吸。リラックスしたムードの中、対談者の自己紹介からセッションはスタートしました。

「よろしくお願いします」。タイで出家した日本人僧、プラユキさんの第一声でセッションは始まりました。「今日は、『日常社会で広がるマインドフルネス』と言うテーマで山口伊久子さんと対談させていただきます」。偏袒右肩(へんだんうけん)装束のプラユキさんは、「応真閣」内に安置されている木造の僧侶像と瓜二つなのにちょっとビックリします。

プラユキさんによる自己紹介と、その活動紹介が続きます。プラユキさんは、1988年にタイの森林寺院の一つ、スカトー寺で出家。以来、現在ではタイと日本を往復しつつ自身の修行と悩み苦しむ人の相談にのり、指導を続けています。近年では、プラユキさんを慕って、わざわざタイのスカトー寺までやって来られる日本人も多く、現地では、タイ語以外にも日本語で瞑想修行の指導もされています。

また、日本各地でも瞑想会を開催し、その指導にあたっています。釈尊の教えを伝える講演会も広く行っており、大学や病院、就労支援施設で発達障がいの人たち、支援の仕事に携わる人たちのメンタル・トレーニングも担当されているのだそうです。

「それから力を入れている取り組みとしては、個人面談があります。特に鬱とか、不安障害とかの心の病。それから、親子や夫婦関係などの人間関係の悩み相談もよく受けます」。悩める人たちにどのように対応されているのでしょうか。

「第一番目に大事にしているのが、善き友達になっていくということです」とプラユキさんは解説されます。「仏教用語に『善友』という言葉があります。善き友になるとは、悩んでいる人に寄り添い、話を傾聴させてもらって、いっしょに心の苦悩や具体的な人間関係などの問題解決を模索していくこと。そのために仏教の教えや瞑想を活用していきます」。

プラユキさんの実践的な悩み苦しむ人への接し方として、「善き友になっていくこと」と「瞑想指導をしていくこと」があります。それらは、「対話によるサイコロジカルな心理的ケアー」と「瞑想によるスピリチュアル(霊性的)な精神性の開発」に対応しているそうです。

「仏教の教えでは、『真』と『善』とそれから『行』というものがあります」。プラユキさんの解説では、仏教で言う「真」を「地図みたいなものです」と喩えられます。「善」は「自他の抜苦与楽」という目的地、そして「行」は、「(地図を携えて目的地まで)自分の足で行くこと」と譬えて説明されます。

「マインドフルネス認知療法を専門にやっていらっしゃる山口さんもいらっしゃいますが、認知と行動が、自他の抜苦与楽を実現するために大事になってきます」。『真・善・行』の関係という大きな枠組みの説明から、具体的に、自他共に苦を抜き、楽を与えるためのプロセスの説明に移ります。

「悩み相談に来られた方の苦の軽減のお手伝いをさせてもらう際、まず相談者の認知面に歪みがないか探ります。仏教では無明が苦しみの根源。すなわち、正しくものが見えていなかったり、ものの見方にズレがあったりすることが苦しみに直結していくからです。仏教では正しいものの見方を『正見』と言います。まず、正しい見方に変えていってもらうことが大切です。ブッダの地図に照らし合わせて、今自分がどのような心の迷い道に入り込んでしまっているのか? これから心をどう整えてどう進んで行ったらいいのか? ということを理解してもらうのです」。

それから次のステップは行動面ですが、「身体、言葉、そして心の整え方を理解してもらいます。これを理解しないと、自己流の間違ったやり方で、どんどん消耗していったりします。特に心に働きかける『行』を間違えると大変です。例えば、瞑想してもっと楽になろうと思っていたのに、逆にどんどん生きづらくなってしまうという現象も起きます。実際、瞑想人口も増えてきて、そういう人も多くなってきていますので、『瞑想難民』などという言葉も用いて注意喚起しています」。無明とは、心の苦悩や人間関係の問題の生起と消滅の原理について正しく理解していないこと。苦悩や問題解決のための有効な方法を知らないこと。そして、今ここで自分に起こっていること、自分がやっていることに無自覚であること。

「ざっくり言えば、苦しんでいる人は自分の心に現れてきた思考、感情、イメージに対し、ハマり込む、戦う、目を背けるといった「反応」をしています。そうした反応は苦しみを解消するどころか、ますます苦悩を深めてしまうことになります。それに対して、ブッダが発見した、気づき、受け止め、理解するという心への適切な「対応」があります。今ここで自分に起こっていること、自分がやっていることを自覚化するトレーニングである気づきの瞑想を指導し、心の諸現象に正しく対応していく能力を養ってもらいます。また、人間関係コミュニケーションにおいても、自他の抜苦与楽を実現するための適切な言動や表現を具体的に紹介し、おたがいさまに苦しみから自由になって幸せになっていけるように導いています」。

「私がここで伝えたいことを一言で言えば、どんなに苦しんでいる人でも確実に『楽になれる』ということ。正しいものの見方を学び、しっかりと心を整えて、適切な言動を心がけていけば、不安、怒り、落ち込み、あるいは鬱や不安障害といった病理現象でさえも改善できる。また、人間関係も改善したりスムーズになったりして、共に幸せに生きていくことができるということを知ってもらいたい」とプラユキさんは希望を述べられます。

「ブッダも苦しみを味わい、そこからの解放を目指し、試行錯誤を繰り返した末に苦しみからの全き解放を実現しました。仏教とはそうしてブッダが命がけで発見した心の詳細な見取り図であり、苦しみからの解放へ至るための道案内です。

たとえ今どんな苦しみに落ち込んでいても、そこから自由になれる道があります。闇雲に苦しみにあがいたり、塞ぎ込んだりして、消耗することなく、積極的に良い縁に触れ、一刻も早く苦しみを軽減していってほしいと思う」とプラユキさんはアドヴァイスをされます。

「そうしたよき縁をきっかけに、正しいものの見方を身につけ、適切な実践をしていけば、誰でもが苦しみから自由になれる。さらには智慧や慈悲といった心のクオリティも育んでいける。それが、私の伝えたいことです」とプラユキさんは結論づけられました。

プラユキ・ナラテボー師の指導のもと「手動瞑想」を体験するZen 2.0参加者。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る