手嶋 龍一(外交ジャーナリスト・作家)

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自分にとって、父親とはどんな存在だったのか。
各分野で活躍する男たちが語る、心に残る父の言葉。

「荷物は一人で担いなさい」

                                       ©村松真砂子

たった一度の注意

父は寡黙な炭鉱主でした。戦後、九州から北海道・芦別に移り、独立系の炭鉱を開きました。絵に描いたような川筋気質の九州男で、僕ら子どもたちに余計なことは何も言わない人でした。怒鳴られた記憶もありません。いくら思い出そうとしても浮かんでこない。父に注意されたことはたった一度きりでした。

僕はガキ大将だったのでしょう。小学生のころ、近所の悪ガキを引き連れて探検に出かけたものです。その日も、仲間を誘って空知川に釣りに出かける途中で、たまたま父に出会ったのです。しばしの沈黙のあと、父は低い声でこう言ったのです。

「荷物は一人で担いなさい」

親分は決して人に荷を担がせてはいけない――。父の目はこう諭していました。人を率いようとすれば、周囲に荷を押し付けるようなことはしてはならない。「重き荷はたった一人で」という言葉はわが心にしまわれ、大人になっても時折、思い出しました。

父は僕が中学生のときに62歳で他界しましたが、思えばこの言葉を淡々と実践した人生でした。一代で炭鉱を築き、地中の深くで働く炭鉱マンやその家族を大切にしながら、決して居丈高に振る舞うことはしなかった。父の炭鉱は「一山一家」という言葉を体現するようなものでした。炭鉱主も従業員も一つの家族という意識だったのでしょう。当時をことさら美化しているのではありませんが、後に幾人の方々がそう言っていたものです。

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