危機的状況を救った一期生たち
ところが、そんな危機的状況下で、最上級生の部員たちから「監督と一緒に頑張りたい。箱根に出ることで、大学の新たな歴史をつくりたい」という声があがったのです。
彼らは強化指定部体制が作られた年に入部した一期生たちでした。彼らは監督の指導のもと、着実に実力をつけ、監督に信頼をよせていたのです。
部長と私は大学に頭をさげて、強化指定部体制の期限の猶予をお願いし、何とか認めてもらうことができました。
最上級生部員の一人が、主将となったA君です。
当時は、チーム力が乏しかったため、主将になると部員をまとめることに専念せざるを得ない状況でした。十分な練習ができないA君は非常に悩んだ末、身を切る思いで選手をおり、チームのまとめ役に徹したのです。
彼は、私が受けもつゼミの学生でもあったことから、授業のあと胸のうちを聞かせてもらったものでした。特別な助言はしませんでしたが、私はA君が話すことで少しでも自らの考えを整理してもらえたらと、祈る思いで耳を傾けていたように思います。
2007年、主将になったA君はチームの立て直しを図ります。
同年、陸上競技部部長を引き継いだ私は、若いA君に全面的に任せて大丈夫かという気持ちもありましたが、口をはさまず見守りました。
やがて、〈自分が主将として頑張ってチームの雰囲気をよくすれば、部員一人当たり数秒タイムは縮まる。そうすれば箱根駅伝に出場できる〉というビジョンをA君から聞かされ、彼を信じて任せようという思いになっていったのです。すると、チームの士気も次第に高まっていきました。
しかし、その努力もむなしく、この年の予選会は惜しくも次点で敗退。A君はじめみんなは大泣きでしたが、この悔しさから生まれた闘志が後進に引き継がれました。
その後、本校は2009年から箱根駅伝に9年連続出場を果たし、3年連続3度目の総合優勝と快進撃が続きます。
この頑張りは、箱根駅伝に出場できず、涙をのんだあの一期生たちが基盤を築いてくれたからこそと思っています。
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