インタビュー

光あれば影あり。影を乗り越える勇気 建築家・安藤忠雄

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失敗はした。でも挫折はしない

―――「何ができるか」と考えても、何をしたらよいかわからないのでは?

静岡県伊東市にある野間自由幼稚園の大きな縁側

静岡県伊東市にある野間自由幼稚園の大きな縁側

失敗が怖いんでしょうね。僕の歩んだ道は高卒で、しかも独学で建築家になったというサクセスストーリーとして思い描く人がいますが、それは間違いです。
僕なんか失敗の連続ですよ。事務所を構えても仕事はない。建築のコンペに参加しても負けてばかり。都市再生のプロジェクトをいくつも提案したけれど、誰にも相手にされない。失敗はたくさんしました。
でも挫折感はありません。それは大学に行けなかったおかげで、いつも全力疾走していたからでしょうね。そうでなければ、この世界で生きて行けなかった。今だって前ばかり見ていますよ。

東京湾上のゴミ埋立地を緑の森として再生させようという「海の森プロジェクト」に取り組んできましたが、そこで植樹した木々が大きく育ちつつあります。苗木の植樹による森づくりを目的とした、一口1千円、50万人の寄付(目標達成につき、募金活動は終了)による市民参加形式の運動です。誰かに頼まれたわけじゃありません。環境運動のなかに、僕のできることがあるに違いないと思ったからです。やりたいことを見つけたら、どうすればできるかなんて、あとから考えればいいんです。

ちょっと話は変わりますが、日本の建築で一番いいものは縁側だと思っています。世界中で縁側の発想があるのは日本だけです。なぜだかわかりますか? 縁側というのは、内でも外でもない。自然と人の生活の中間を大切にすることで、日本人は古来、生の感性を研ぎ澄ませてきたんです。これを人間関係でいうなら、自分と他人を分けて考えず、他のおかげで自分が生かされている、つまり他を取り入れて生きていくことを日本人は大切にしてきたんですね。

僕はこの縁側の発想を大事にしていきたい。だから環境運動にもたくさん取り組んでいるし、人とかかわって生きることが楽しい。僕を面白いやつだと目をかけてくださったサントリーの故・佐治敬三さんから教えられた詩があります。サムエル・ウルマンの『青春の詩』です。「青春とは人生のある時期のことを言うのではなく、心の持ち方である」。いくつになっても、無我夢中になっているときが、一番充実しているんじゃないですか? これからも僕は全力疾走し続けます。

 

建築家
安藤忠雄(あんどう ただお)

安藤忠雄

1941年大阪生まれ。独学で建築を学び、1969年安藤忠雄建築研究所設立。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」など。1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞、1993年日本芸術院賞、1995年プリツカー賞、2003年文化功労者、2005年国際建築家連合(UIA) ゴールドメダル、2010年ジョン・F・ケネディーセンター芸術金賞、後藤新平賞、文化勲章、2013年フランス芸術文化勲章(コマンドゥール)、2015年イタリア共和国功労勲章グランデ・ウフィチャ―レ章、2016年イサム・ノグチ賞など受賞多数。1991年ニューヨーク近代美術館、1993年パリのポンピドー・センターにて個展開催。イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。1997年から東京大学教授、現在、名誉教授。
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