インタビュー

苦を滅する道「八正道」 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー②

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――「苦」の原因が無明、渇愛、執着であるということはよくわかりました。言い換えれば、無明は仏教的無知、渇愛は欲、取は執着ですね。この三つの関係というのはどのようになっているのですか。どれが苦の原因としていちばん大きいものなんでしょうか。

無明が苦しみの根本原因です。心の中にフッと湧き起こって来てしまう気分や情動などもすべて無明が原因です。

一方、渇愛というのは、沸き起こって来た気分や情動が心地よいものであれば、もっと欲しいと貪ったり、しがみついたり、不快であれば、嫌悪したり、戦ったり、また刺激がなければ、退屈になってうんざりしてしまったりといったような反応を起こしてしまうことです。そして渇愛が生じてなお、何の適切な対応もとられないでいると、さらに執着へと進んでどっぷりと感情にハマり込んでしまい、無明を強化してしまうことになるのです。

これは十二因縁で説明するとすごくわかりやすい。無明、渇愛、執着の三つが十二因縁の中に全部入っているんですよ。これについては、次回、詳しくお話するつもりですが、これら「苦」の三つの原因は四聖諦の観点で見ればすべてが「集諦」に含まれていて同等ですが、十二因縁の観点で瞬間瞬間に展開していくプロセスとして見ていくと、無明から渇愛、そして執着と順繰りに形成されていく様子が確認できるわけです。

ブッダから与えられた地図

それゆえに、わたしたちにとって、この十二因縁の法門こそが、苦しみの解消という具体的な課題に取り組むにあたってとても役に立つのです。ブッタが悟りに至った時に見極めたものこそが、そういった瞬間瞬間の心の変遷であり、苦しみが生じ、滅していく心のプロセスやそのからくりであったからなのです。

言うなればフッと沸いてくるいろんな心の状態、また、そこからどんどん形成、増幅していく心の有り様をブッダはあるがままにこまやかに見たわけです。
しかしそれを最初から教えても、私たち凡夫はチンプンカンプンなので、まず苦しみの生滅についての全体像を説かれた。そして、正語、正業といった、よりコントロールがしやすい言語や身体のレベルにおいての具体的な善なる実践を促していったわけです。すなわち、ブッタはまず人々に容易に理解しやすい地図を与えたわけですよ。

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