インタビュー

苦を滅する道「八正道」 スカトー寺副住職 プラユキ・ナラテボー②

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――ナラテボーさんは、よくオープンハートという言葉をお使いになりますよね。
そうですね。これは非常に大事だと思っています。
信頼というのが「オープンハート」とすごく対応してるような感じがしています。

仏教用語でもこれから説明する、悟りにいたらしめる五つの力「五力」のなかに「信」というのが、まず出てくるんですよね。これは一般に「仏教への信仰心」と解釈されていますが、もっとシンプルに「ブッダの教えを信頼していくこと」と理解していいと思います。それによって、たとえ仏教徒でなくてもブッダの教えを活用していただける間口が広くなりますからね。

また、この信頼ということですけど、ブッダの教えに対しての信頼にとどまらず、あと二つ、「自分自身の可能性への信頼」と、「湧きあがってくる感覚や気分、思いなどあらゆる心の現象への信頼」といった意味も含めていいのではないかと思っています。

なぜならブッダは、適切な取り組みによって誰でもが悟れる、苦しみから解脱できる可能性があると仰しゃっているからです。

信頼するということは、心の構えを作らないこと

そんな意味で誰もが自己信頼(Self-reliance)をしていいわけですし、また、ブッダは、「苦しみや苦しみの原因になるあらゆる心の現象を見つめていくことにより智慧が得られる」と説かれているわけですから、心に沸き起こってくる現象を敵に回さず、わたしたちに智慧を与えてくれる貴重な素材であると捉えて、信頼を持って対応していくことが大事なのです。

ですから、信頼するということは、心の構えを作らずにオープンハートで、「何が起こってもオッケーだよ」と、心に生じてくるものに対して受容的な態度で向き合おうという感じです。

逆に、「雑念を起こしてはいけない」とか「妄想してはいけない」とか、「無にならなきゃ」など、「こうあるべき」と考えてしまうのは、生じてくる心に対しての信頼がなく、構えを作ってしまうことです。それによって心身ともに緊張して、世界と敵対してしまう、すなわち、そうした先入観や前提が、生じてくるもののあり方に悪影響を与えてしまうのです。また、ありのままに物事を見るということを阻害してしまうことにもなりましょう。

生じてくるものは、苦しみであれ様々な感情であれ、すべて「結果」です。それに対してどうのこうのする必要はありません。それらはただあるがままに見て、そこから正しく対応していけばよい。そうすれば、そこからいくらでも苦しみは解消でき、同時に智慧と慈悲を育んでいけるのです。

タイ・スカトー寺副住職
プラユキ・ナラテボー

1962年、埼玉県生まれ。上智大学哲学科卒業。大学在学中よりボランティアやNGO活動に深く関わる。
タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。
以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。
近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、ワークショップから、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。

 

〈書籍情報〉
「気づきの瞑想」を生きる タイで出家した日本人僧の物語
著者:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,800円+税
発行日:2009年8月

 

〈書籍情報〉
「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方
著者:カンポン・トーンブンヌム
監訳:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,400円+税
発行日:2007年11月
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