「今ここ」の本当の意味
私たちが生きているのは、いつでも「プレゼント・モーメント」。常に「今ここ」ですし、「贈り物」の時でもあります。ですから生じてくることに対して、できるだけオープンハートに心を開いて、気づきと智慧を持って対応していく、というのをブッダは推奨しています。
「今ここ」に気づくというのは、過去や未来を否定したり、回避したりすることではありません。そうした私たちが「過去」や「未来」としてみなしているものが、実は自らの今ここの心のアクションによって瞬間瞬間に構築され続けているものであり、また、「私」や誰々さんも、自らの「今ここ」の心のアクションによって構造化された概念であると理解するための方便だということです。
こうしたことが理解されていけば、過去のトラウマや誰か特定の他者の言動に苦しめられるということはなくなってきます。すべて今ここの自らの心のアクションを気づき、受け止め、理解することによって問題の解決を速やかに図っていくことが可能になります。
マインドフルネスの定義
仏道において一番大事なのは、気づくことです。これが昨今よく耳にするようになってきた「マインドフルネス」と言われているものです。
気づきがないと、我知らずにずるずると自分の心の癖にハマり込んでしまうことになるわけです。まずそこでハッと、今ここに身口意で起こっていること、行っていることを自覚化する。気づきというのは、自覚化する力です。
ブッタは、この気づき、自覚化する力をsatiと称し、非常に重視していました。
今日、このsatiが欧米で「マインドフルネス」と翻訳され、認知行動療法などでも活用されているわけですが、例えば、ジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn)さんはマインドフルネスをこのように定義づけています。
Mindfulness means paying attention in a particular way: on purpose, in the present moment, and non-judgmentally.
マインドフルネスとは、意図的に、今この瞬間に、価値判断をせずに、注意を払うこと
意図的というのは、より正確に「自覚的に」と言い換えてもいいかと思います。自覚的に、今ここにちゃんと目覚めた意識で、生じていることにあるがままに気づき、受け止め、理解していく。こうした気づきをマインドフルネスと称しているのです。
これによって、心の癖にハマり込まず、心の状態に巻き込まれずに、あるがままを観察、洞察していく基盤ができます。こうした気づきを養う訓練を重視して来たというのが、ブッタの教えの伝統です。
タイのチュラロンコン大学大学院に留学し、農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。
以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。
近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、ワークショップから、有志による瞑想会まで、盛況のうちに開催されている。
著者:カンポン・トーンブンヌム
監訳:プラユキ・ナラテボー
出版社:佼成出版社
定価:本体1,400円+税
発行日:2007年11月
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