インタビュー

ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(2)

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み仏に供養する時も、常に目覚めた心の状態を忘れない

Q2   気づきの実践のポイントはなんですか。また、坐ってする瞑想と歩行瞑想の違いを教えてください。

身体は常に伸び縮みしています。呼吸によっても、膨らんだり縮んだりしてますし、呼吸のほかにも、血液や体液を循環させるために膨張、収縮を繰り返しています。分子レベルでみても、常に震えているのです。気づきの実践のポイントの一つは、そうやって、ずっと動き続けている身体のありよう(身体に起こる感覚のありよう、心のありようなど)を観察し続けることなのです。

その変化も同じことが再現しているわけではなくて、瞬間瞬間、新たな現象が生じては滅して、生じては滅してという、一回性のものです。すべての現象は一期一会で、瞬間瞬間、変化消滅しているということを、身をもって体験するということが気づきの実践です。そのために坐ってやるのか、立ってやるのか、寝てやるのか、あるいは歩いてやるのか、あとは日常の作務をしてやるのかは、基本的には、姿勢の違いだけです。

ただもちろん、能動的に歩いているときと、受動的にただ坐っているときでは、感じるものの性質が違ってきます。受け身の時は、無意識下で起こっている、人間が意識で制御していないいろいろな現象も観察できます。あるいは逆に能動的に歩いているときには、どんなことをするにも自分の意思(意欲)が絡んでいることが観察できるのです。つまり、見方を変える、チャンネルを変える、状況を変えるというだけなんですが、観察モードでいるということに変わりはありません。

だらだらと歩くのではなくて自分の意思で、意識して気づきを入れながら歩くという訓練をすることで、観察能力も上がってくるので、初心者の方には歩く瞑想をちゃんとやったほうがいいんじゃないですか、と勧めています。しかし、修行というと坐禅というイメージが強いものですから、「いいえ、私は坐ります」と言って、実際には、坐禅にならず、そのまま寝てしまう人も少なくありません。目覚めたこころの状態を習慣づけるためには、歩く瞑想をたくさんしたほうがいい。とにかく、観察モードでいることが大切です。

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