ゴータミー精舎のウェルカムボード
最近読んだある仏教書の受け売りですが、自分といわれる存在は、自己イメージの再生産をずーっと続けているのです。だから、これまでのいろんな宗教は、自己という実体が、魂というべき存在がずーっと続いているのだ、と考えてきた。ところがお釈迦さまだけは、「生命というのは、やみくもに燃料を投入しつづけて、ずーっと燃え続けているだけの存在なのだ」と発見した。ということは、その燃料(渇愛)がなくなったら、自己という現象も幻のように消えてしまうだけだ、と輪廻のカラクリを見破ったのです。
ですから、渇愛で生きているという状態、悩み・苦しみの中で煩悶してずーっと燃え続けている自己のありようというものは、その燃料を止めてしまえば、消えてしまう。もちろん、身体はそのまま残っているから、肉体が壊れるまでは淡々と生きているわけですが。これは表現を変えれば、仏道のゴールに達して「生まれ変わったのだ」とも言えます。渇愛から悩み・苦しみを作り続けていた自分がいったん死んで、渇愛の代わりに、智慧と慈悲で生きる新たな自分として生き返ったのだと。
渇愛・煩悩の代わりに智慧と慈悲で生きる自分に生まれ変わること。それがブッダの瞑想をして到る境地、目指すべきところだと言うことができるでしょう。ブッダとは智慧と慈悲の存在です。ブッダは、智慧と慈悲で人類を導いているのです。智慧と慈悲へと、人類を導いているのです。
佐藤哲朗(さとう・てつろう)
佐藤哲朗(さとう てつろう)
1972年、東京都生まれ。東洋大二部文学部印度哲学科卒業。ライター・雑誌編集者などを経て2003年から日本テーラワーダ仏教協会事務局長を経て現・編集局長。インターネットを通じた伝道活動、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作編集などを担当。単著は『大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史』『日本「再仏教化」宣言!』サンガ。共著に『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会などがある。
1972年、東京都生まれ。東洋大二部文学部印度哲学科卒業。ライター・雑誌編集者などを経て2003年から日本テーラワーダ仏教協会事務局長を経て現・編集局長。インターネットを通じた伝道活動、アルボムッレ・スマナサーラ長老の著作編集などを担当。単著は『大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史』『日本「再仏教化」宣言!』サンガ。共著に『日本宗教史のキーワード』慶應義塾大学出版会などがある。
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